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正法眼蔵 観音 26

「観音」の巻について道元禅師のあとがきです。

現に釈尊の説かれた教えがインドの国から次第に伝わってわが国にまで伝わって来ているけれども、その長い期間の間には、真実を得られた沢山の方々が観世音菩薩について色々と説明されている。それらの沢山の説明は、雲巖禅師と道吾禅師との間で行われた問答には及ばないので、今ここではこの雲巖禅師と道吾禅師が取り上げられた説明の仕方だけを基準にして観世音菩薩の説明をした。

たとえば「証道歌」を書かれた永嘉真覚大師の「何かこの世の中におけるたった一つの事柄に執着して、それだけに囚われていると言う事がないならば、その人は真実を得た人如来と呼ぶ事が出来る、その人は物事を自由自在に見る事が出来る観世音菩薩と呼ぶ事が出来る」という言葉が伝えられている。

この様な永嘉真覚大師の言葉から理解できるところは、釈尊も具体的な生身の体を現して人類を救済され、観世音菩薩も生身の体を現して我々を救うと「法華経」では説かれているけれども、観世音菩薩の実態というものは、人様の肉体ではなくて自分自身の肉体であると言う事がこの永嘉真覚大師の言葉から知る事が出来る。

また麻谷禅師と臨済禅師との間では、観世音菩薩の持っているのと同じ様な、正しい手、正しい眼と言うふうな話題を中心にしてお互いに問答されたと言う事が伝わっているし、それらの話というものも沢山ある観世音菩薩に関する説明の1つ2つの例に他ならない。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
道元禅師は、法華とか臨済や永嘉大師の話、それよりも雲巖禅師と道吾禅師の話が一番「観音」の意味をよく表していると言いましたね、先生もそうお思いになりますか。

先生
私もこの「観音」の巻を読むまでは観世音菩薩というものをどう理解していいのかわからなかったんですよ、正直言うと。「法華経」には「観世音菩薩普門品」というのがあって、人間が殺されそうになると観音様が助けに来て下さる、海が荒れて自分の乗っている船が難破した時にも観音様が現れて救って下さるというふうなことが書いてあるわけだけれども、さてそれがどういう形で我々の日常生活の中に出てくるかというふうに考えていくとどうしてもわからなかった。

ただ道元禅師がこの「観音」の巻で説明しているのを読んだ時に「ああそうか、観世音菩薩というのはこういうものか」という事がやっとわかった。だから私にとってはこの「観音」の巻というのは非常に貴重な巻。この巻を読まなかったら私は観世音菩薩というのが何を意味するのか一生分からなかったっと思う。

「法華経」を何百遍読んだとしても「観世音菩薩普門品」の中に出てくる表現が何を意味するか、というのはよくわからなかったと思う。
                            つづく--


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。69歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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