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正法眼蔵 観音 22

雲巖曇晟禅師と道吾円智禅師の問答について道元禅師の注釈は続きます。

釈尊の説かれた教えや仏道の真実を得られた方々の話は、この様に世間一般の理解の仕方とは違った立場で理解すべきである。世間一般では80点、90点と言えばまだ100点には足りないという理解になやりがちだけれども、ここで道吾禅師の言われた言葉の意味は、ほんのわずかの言葉でほとんど完成に近いほど見事に真実を表現されたという意味に理解すべきである。

雲巖禅師が言われた「自分としてはもうこれくらいの返事が精一杯だ。お前さんの考えでは一体どのようか」と述べられた言葉というものは、道吾禅師が80%、90%の出来だという形で、ほんのわずかな言葉ではあるけれども、ほとんど完全に近いほど真実をよく表しているいう言葉を言わせたので、雲巖禅師が自分としてはこの辺の表現が精一杯だと言う意味で言われたのである。

仏道の修行を積んで優れたものを得た場合でも、それを人に対して見せびらかすという態度をとってはならない。真実というものを完全に把握した場合でも、我々の具体的な日常生活のあり方を言うならば、腕が長いにも関わらず衣服の袖は短いと言う実情は実情のなりに、必ずしも完全とはいえない形で日常生活は行われている。

したがって雲巖禅師は道吾禅師に対して、自分は今述べた考え方に尽きるけれども、お前さんの考えでは一体どのようか、と言う言葉を述べたけれども、その雲巖禅師の言葉の意味は、自分が今まで言った言葉はまだ真実を十分には説きつくしていないけれども、その事はさておいて自分自身としてはこれ以上は表現する言葉はありませんと言う意味で言われた訳ではない。雲巖禅師は雲巖禅師なりに自分の言葉に自信があって、「お前さんの考えでは一体どのようか」と言う意味で言われたのである。自分自身の表現に自信がなくて言った訳ではない。



              ―西嶋先生の話―
                        
十重禁戒とは、1不殺生戒 2不偸盗戒 3不貪婬戒 4不妄語戒 5不酤酒戒 6不説在家出家菩薩罪過戒 7不自賛毀他戒 8不慳法財戒 9不瞋恚戒 10不謗三宝戒。
    
     --つづき

8・不慳法財戒 (法財をおしんではならない)  
法と言うのは釈尊の教え、財と言うのは財産。自分が仏道を一所懸命勉強した事、あるいは自分が財産を持っているという事は、もちろん結構な事でありますけれども、人には全然わけないという事ではいけない。ところが仏道を勉強したと言う場合に、人には教えたくない、自分だけで大事にしておきたいと言う考え方も時々ある。

それからまた金銭にしても、人にはビタ一文やりたくないと言う考え方もある訳でありますが、そういう状態と言うものは人間の普通の状態ではないと言う事が言える訳であります。新聞に出ていた話で、非常に節約して億単位の金を貯めたけれども、埃にまみれて一人で死んだと言う例があるわけです。そういう点では普通の人間らしい生活をしている場合には、もちろん持っているものを大切にすると言う事もありますが、それと同時に有り余るものは人に分けてやろうと言う気持ちも伴うもの
 
その点では自分の方に入るものだけに関心を持って、出すのは舌も嫌だという事では、人間のあり方としては必ずしも普通の状態ではないと、そう言う意味で不慳法財戒――法財を惜しんではならないという戒律ができたわけであります。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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