正法眼蔵 観音 21
雲巖曇晟禅師と道吾円智禅師の問答について道元禅師の注釈は続きます。
世間一般では道吾禅師が80%、90%の表現にはなっているという言葉を聞いて、本来は100%の出来でなければならないのに、表現が不十分であったためにそのように言われたのだと理解している。道吾禅師は決しては雲巖禅師の言葉が不満で80%、90%と言われたのではない。本来100の言葉、1000の言葉10000の言葉を使わなければ中々言えないないような真実を、ほんのわずかな言葉で表現されたから、その出来に対して80%、90%殆ど真実を説き尽くしているという意味で言われたのである。
ところが世間一般で理解するように道吾禅師は雲巖禅師の答えが不満であったから、80%、90%の出来だと言われたと理解するならば、その理解の仕方というものは釈尊の教えに対する正しい理解ではない。釈尊の説かれた教え、仏法というものが世間一般で理解されているようなものであるとするならば、その程度の粗末な思想というものは2000年も3000年も経過して今日まで伝わってこないであろう。
道吾禅師が80%、90%の出来だと言われた言葉の意味は、100の言葉、1000の言葉を使って言われたのと同じように十分な真実の表現になっていると言われたのであるし、80%、90%という言葉の意味は非常にたくさんという意味と同じだと学ぶべきである。道吾禅師はここで80%、90%の出来だと言われているところから推察するならば、雲巖禅師の言葉に対して述べられた判断というものは、8とか9とかという、10に足りない数という意味で言われたのではない。
―西嶋先生の話―
十重禁戒とは、1不殺生戒 2不偸盗戒 3不貪婬戒 4不妄語戒 5不酤酒戒 6不説在家出家菩薩罪過戒 7不自賛毀他戒 8不慳法財戒 9不瞋恚戒 10不謗三宝戒。
--つづき
6・不説在家出家菩薩罪過戒
出家であれ在家であれ、菩薩と言うのは仏道修行をしている人と言う意味であります。ですから、たまたま釈尊の教えを信じて仏道修行をしている人が間違いを起こした場合に、はたの人が「けしからん「」と言ってとやかく批判してはならないと言う戒律。間違いを起こしたと言う事も、仏道修行の過程で生まれた誤りでありますから、はたの人が「ますから、それを軽々しく批判してはいけないと言う戒律であります。
7・不自賛毀他戒(自分のことを自慢するな、人のことの悪口を言うな)
自賛と言うのは自分の事をほめる、毀他と言うのは他人の事を非難する。とにかく人間と言うのは、自分の事は自慢する事が好きだし、人の事は悪口を言うのが好きと言うのが普通の状態であります。なぜそういう事が生まれるかと言うと、自分の中に引け目があると自慢したくなる。自分の内心に弱みがあるとそれを隠すと言う意味で自慢したくなる。
それからまた自分に弱みがあると、人の優れている事がどうも気に食わない、他人の悪口が言ってみたくなる。したがってその点では自分自身というものがしっかりわかっていないと、自分の事を自慢したり、人の事を非難したりと言う事が生まれやすい。従って自分の事を自慢するな、あるいは人の事の悪口を言うなとこう言う戒律が生まれた訳であります。
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世間一般では道吾禅師が80%、90%の表現にはなっているという言葉を聞いて、本来は100%の出来でなければならないのに、表現が不十分であったためにそのように言われたのだと理解している。道吾禅師は決しては雲巖禅師の言葉が不満で80%、90%と言われたのではない。本来100の言葉、1000の言葉10000の言葉を使わなければ中々言えないないような真実を、ほんのわずかな言葉で表現されたから、その出来に対して80%、90%殆ど真実を説き尽くしているという意味で言われたのである。
ところが世間一般で理解するように道吾禅師は雲巖禅師の答えが不満であったから、80%、90%の出来だと言われたと理解するならば、その理解の仕方というものは釈尊の教えに対する正しい理解ではない。釈尊の説かれた教え、仏法というものが世間一般で理解されているようなものであるとするならば、その程度の粗末な思想というものは2000年も3000年も経過して今日まで伝わってこないであろう。
道吾禅師が80%、90%の出来だと言われた言葉の意味は、100の言葉、1000の言葉を使って言われたのと同じように十分な真実の表現になっていると言われたのであるし、80%、90%という言葉の意味は非常にたくさんという意味と同じだと学ぶべきである。道吾禅師はここで80%、90%の出来だと言われているところから推察するならば、雲巖禅師の言葉に対して述べられた判断というものは、8とか9とかという、10に足りない数という意味で言われたのではない。
―西嶋先生の話―
十重禁戒とは、1不殺生戒 2不偸盗戒 3不貪婬戒 4不妄語戒 5不酤酒戒 6不説在家出家菩薩罪過戒 7不自賛毀他戒 8不慳法財戒 9不瞋恚戒 10不謗三宝戒。
--つづき
6・不説在家出家菩薩罪過戒
出家であれ在家であれ、菩薩と言うのは仏道修行をしている人と言う意味であります。ですから、たまたま釈尊の教えを信じて仏道修行をしている人が間違いを起こした場合に、はたの人が「けしからん「」と言ってとやかく批判してはならないと言う戒律。間違いを起こしたと言う事も、仏道修行の過程で生まれた誤りでありますから、はたの人が「ますから、それを軽々しく批判してはいけないと言う戒律であります。
7・不自賛毀他戒(自分のことを自慢するな、人のことの悪口を言うな)
自賛と言うのは自分の事をほめる、毀他と言うのは他人の事を非難する。とにかく人間と言うのは、自分の事は自慢する事が好きだし、人の事は悪口を言うのが好きと言うのが普通の状態であります。なぜそういう事が生まれるかと言うと、自分の中に引け目があると自慢したくなる。自分の内心に弱みがあるとそれを隠すと言う意味で自慢したくなる。
それからまた自分に弱みがあると、人の優れている事がどうも気に食わない、他人の悪口が言ってみたくなる。したがってその点では自分自身というものがしっかりわかっていないと、自分の事を自慢したり、人の事を非難したりと言う事が生まれやすい。従って自分の事を自慢するな、あるいは人の事の悪口を言うなとこう言う戒律が生まれた訳であります。
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