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正法眼蔵 観音 20

雲巖曇晟禅師と道吾円智禅師の問答について道元禅師の注釈は続きます。

真実というものがしっかりと把握されて真実を言い得る様な力量を具えている時点においては、しっかりと100の言葉、1000の言葉、10000の言葉、10000のというふうに沢山の言葉を使って表現しなければならない様な場合でも、仏道を体得した力が非常に優れている場合には、ほんの僅かの力を使って言葉、ほんの僅かな言葉で80%、90%の表現をするのである。

たとえばこの我々の生きている世界、様々な方向に展開しているこの世界を、100の力、1000の力、10000の力で取り上げて、それを何とか説明した場合には、何もその説明をしない場合よりは多少ましであるかもしれない。しかしながら、100の力、1000の力、10000の力を使っても中々説き尽くす事の出来ないこの我々の住んでいる世界と言うものを、ほんの一つの力を取り上げて、それによって説明する事が出来たならば、その力量というものは世間の並大抵の力量ではない。

ここで道吾禅師が80%、90%の表現になっていると言う言葉の意味は、ほんの僅かな言葉を使って観世音菩薩の説明をされたけれども、それが言わなければならない事の80%、90%をほとんど言い尽くしていると言う意味でこういう表現をされたのである。道吾禅師が80%、90%出来上がっているという言葉を使われた意味は今述べた通りである。



              ―西嶋先生の話―

十重禁戒とは、1不殺生戒 2不偸盗戒 3不貪婬戒 4不妄語戒 5不酤酒戒 6不説在家出家菩薩罪過戒 7不自賛毀他戒 8不慳法財戒 9不瞋恚戒 10不謗三宝戒
    
    --つづき

5・不酤酒戒 (酒を売る事を商売にしてはならない)  
なぜ酒を売ってはならないと言う戒律が生まれたか、と言う点は多少不思議に感じる訳でありますが、恐らくこれは一番最初は、「不飲酒戒」であったと思います。つまり酒を飲んではいけないと言う戒律であったと思われます。というのは、釈尊がまだ生きておられた頃、仏教教団では特別に酒を飲んではいけないと言う戒律はなかった。

ある日、ある僧が酒をたらふく飲んで酔っ払って泥まみれになって寝ていた。そこで釈尊が介抱するつもりで足を洗ってやろうとしたら、その弟子が泥だらけの足で釈尊を蹴った。 そこで酒を飲むとこれほど人間のやる事がおかしくなると言うので、この戒律ができたと言われているわけであります。
  
ただそれが非常に長い年月が経つうちに、特に仏教がチベットとか中国と言う寒い地方に移って行った際にでき「不飲酒戒」と言う戒律が、不酤酒戒(酒を売る事を商売にしてはいけない)という戒律に変わったのではなかろうかと思われる訳であります。これは私の単なる想像ですから何ともわかりませんが、いずれにしても不酤酒戒というのは、酒を売る事を商売にしてはならないと言う戒律であります。                

                             つづく--


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。69歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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