トップページ | 全エントリー一覧 | RSS購読

正法眼蔵 観音 17

雲巖曇晟禅師と道吾円智禅師の問答について道元禅師の注釈は続きます。

雲巖禅師が「体全体が観世音菩薩の手であり眼である」と説明されているけれども、その言葉の意味は観世音菩薩の手や眼が体全体に行きわたっているという説明の仕方ではない。体全体と言う言葉の意味は、宙全体と言う意味も含んでいるけれども、体や眼がまさにその様な現実の世界において実態として存在している場合には、体全体に行き渡っている主体があって、体全体に行き渡らされているところの客体があるという主体と客体と二つに分かれた形での状態ではない。

体とか手とか眼とかというものにはどのような場面にも行き渡るところの性質というものがあるけれども、人が沢山集っている市場の様な所で何かをかすめ取ると言うきわどい異常な形における不法な眼や手と言う意味ではないであろう。観世音菩薩の手や眼が持っている内容と言うものは、それが妥当だという形で見られたり、実際に行われたり、説かれたりするところのものではないであろう。正しいとか間違っていると言う状態をさらに乗り超えた世界におけるものであろう。

その事は生命の働きを説明すると言う立場からするならば、生命の働きは正しいとか正しくないとかと言う事をさらに乗り越えた実態であると言う性格がある。ここで二人の方は、目や手を説明するにわたって、1000・10000・84000とかと言う具体的な数字を表わさずに、非常にたくさんと言う意味で「許多」と言う言葉を使っておられる。この「許多」と言う言葉は「無量無辺」と言う言葉をさらに乗り越えている。



              ―西嶋先生の話―

毎日坐禅をやる事はなかなか難しい。初めのうちは1日2日頑張っても、そのうちに何のためにやるんだろうと考えて「今日はちょっと忙しいから」「今日は友達と一杯飲むから」「やるつもりだったけれども、朝起きたらもう時間がなかったからやめておこう」等々、坐禅を毎日やる事は最初のうちはなかなか骨だけれども、これはあくまでも習慣。習慣と言うのはついてしまうと今度はやめられなくなる。

そのいい例はタバコ。「オギャ-」と生まれた時に、口にタバコを銜えて出てきた赤ん坊なんて一人もいない。十代になってちょっと大人の真似をしてみたい時期になると、決してうまいと思わないけれども口に銜えて火をつけて吸い出す。初めのうちはうまくはない。ところが2、3日たつとやめられなくなる。やめられなくなると今度はやめるのが骨。「いやぁ、やめたい、やめたい」と思っていても、やめられない人は割合多い。

何が原因かと言うとタバコ自身にそういう魅力があるわけではない。ただ習慣を変えるという事は実に難しい。我々の日常生活のほとんどは習慣。その習慣のレ-ルにのっているから、何となく波乱なしにずっと生きていかれる。そのレ-ルをちょっと狂わせるという事は実に難しい事。タバコもその一つ。タバコを吸うと言うレ-ルの上にのっていて、そのレ-ルをはずしてしまうと、何か他のものがガタガタに崩れるような気がして怖くてはずせない。そうすると「やめようかな、やめようかな」と思っていても、中々やめると言うところまでいかないというふうな事があるわけです。

坐禅をそういうものに例えるとはなはだ申し訳ない様ではあるけれども、習慣と言うものを基準に考えれば同じ事。坐禅を毎日やる様になって、坐禅をやった事によって気持ちが落ち着くと言う習慣がつけばやらないと不安でいられない。だから朝やらなければ、時間ができ次第すぐやると言う事にならざるを得ない。そう言う形になればしめたもの。

あとはその毎日の坐禅を続けて一生を終われば仏道修行者としては最高の生き方。だから毎日の坐禅が「やれるかやれないか」と言う事が非常に重大な問題であるけれども、その習慣がつくまでは中々骨。だからそういう点では、やかましい事、難しい事を言うようだけれども、仏道修行をしたいと思ったら坐禅が必要です


いつも読んで下さってありがとうございます。 よかったらクリックお願いします。、

関連記事
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問ありがとうございます。
夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」戒名 幽村芳春。平成20年「嗣書」授かる。    

最近の記事

リンク

カテゴリ

最近のコメント

フリーエリア

坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

FC2カウンタ-