トップページ | 全エントリー一覧 | RSS購読

正法眼蔵 観音 14

雲巖曇晟禅師と道吾円智禅師の問答について道元禅師の注釈は続きます。

この様に説明を重ねてくると、この世の中の一切の場面に現れて来ると言われている観世音菩薩の手や眼と言うものはいまだかつて隠されていた事はないにのであるから、その様な観世音菩薩の手や眼が至るところに行き渡っていると言う事を言葉で説明する必要もなくなってしまう。

具体的にそこにも観世音菩薩の手がある、そこにも世音菩薩の眼がある、ここにも観世音菩薩の手がある、ここにも観世音菩薩の眼があるという様子が我々の日常生活の実態であり、そのように観世音菩薩の働き、生命の働き、というものが我々の周辺に満ち満ちているけれども、それらは自分自身がねじり鉢巻で頑張ったから、そういう事態が出てきたと言うふうにだけは言い切れない。


自分の努力もあるけれども、自分だけでこの世の中が成り立っているわけではない。それと同時に自分というものを全部抜きにして、山があり海があるという客観的な事実があるだけでもない。太陽の姿、月の姿というものが我々の住んでいる世界の実態だとか観世音菩薩の実態だという事だけでは割り切れない。また現在のここにおける心が即ち仏だ、という様な抽象的な概念によって表現できるものでもない。

※西嶋先生解説
だからそういう点では、観世音菩薩というものの言葉では表現することのできない極めて神秘的な何かがある。生命の現われというふうに言ってもいいわけだけれども、それを客観的な自分の努力だけで生まれてくるものだというわけにもいかないし、そうかと言ってあなた任せで生かされているという事でのんきに居眠りしていても出てこないという事態のものである。こういうふうに観世音菩薩を説明しておられるわけであります。



         ―西嶋先生にある人が質問した―

質問 
「あるがまま」と「なるようにしかならん」と言うのはどう違うのですか。
 
先生
それは結局、変えようと思っても変える事が出来ないという事情が人間の状態にはあるんですよ。 例えば風邪を引いて頭がボンヤリしている時おとなしく寝ているしかないんです。風邪を治そうと外へ飛び出して駆け足したら治るかなんて事をやってみても、中々うまくいかないと言う問題があるわけです。

人間の心、人間の体には波があって、誰の心も誰の体も常に順調で最高の調子だと言う事はあり得ない。調子が悪くなったり良くなったりと言う事の連続でしかない。 これは実際の生活の問題としてあるわけです。 「六波羅蜜」の忍辱という教え、人間は波の中で生きていると言う思想とも関連があるわけです。 たまたま波の底に来た時はジ-ッと我慢しなくてはならないと言う事でもある。 調子のいいときに大いに活躍するのは結構だけれども、どうも調子が悪くてジ-ッ としている以外に手のない時にはジ-ッと我慢をしなくてはならない、とそう言う事でもあるわけです。

質問
「なるようにしかならない」と言う事ですか。

先生
「なるようにしかならない」と言う努力の放棄ではないと言う事。 いくら努力をしてもどうにもならない時にはジ-ッと時間を待つしかないと言う事。 「なるようにしかならない」と言う主張の中には「なる様にしかならないのだから、努力はやめておこう」と言う考え方が背景にはあるわけです。 一所懸命努力はしていても、どうにも切り替えのつかない事はいくらでもあると言う事。

質問
「人事を尽くして天命を待つ」と言う言葉がありますね。これはどう言うふうにお考えですか。

先生
だから「人事を尽くして天命を待つ」と言うのは、これは本当の生き方ですよ。人事を尽くさないで天命を待ってはいかんと言う事ですよ。「生かされてる」と言う考え方は、人事を尽くすと言うのは意味がないから天命を待つだけだと言うのが基本的な考え方ですよ。今日の時代思想は、これが非常にに多い。年取っている人も若い人も皆そうですよ。

「なる様にしかならない、人間は努力してもしょうがないんだ、お任せが本当のあり方だ」と言う考え方が非常に強いけれども、具体的に自分の人生を考えてみたらそういうわけにはいかないんですよ。やっぱり自分の日常生活に取り組んでいかなければ、食事の準備一つ出来ません、洗濯一つ出来ません、部屋の掃除一つ出来ません。

その点では「生かされているんだ!」と言う事で塵にまみれて寝ているわけにはいかん。人生と言うのは、そういう点では非常に具体的なみみっちいもんですよ。人生と言うのは、そう大まかなもんでは決してない。コツコツと積み上げて行くところにしか人生はない。そういう問題があると思います。


いつも読んで下さってありがとうございます。 よかったらクリックお願いします。


関連記事
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問ありがとうございます。
夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」戒名 幽村芳春。平成20年「嗣書」授かる。    

最近の記事

リンク

カテゴリ

最近のコメント

フリーエリア

坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

FC2カウンタ-