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正法眼蔵 観音 2

「観音」の巻、本文に入る前に先生の話は続きます。

道元禅師がどんな形で観世音菩薩というもののを理解していたかと言うと、観世音菩薩に関する問答の一つに雲巖禅師と道吾禅師の問答があります。道元禅師は観世音菩薩に関する解釈としては、この二人の問答が一番すぐれていると理解しておられた。したがってこの二人の問答を引用されながら、観世音菩薩をどう理解していったらいいかと言う事をこの「観音」の巻で述べておられるわけであります。

それでは、雲巖禅師と道吾禅師とが観世音菩薩をどう理解しておられたかという事になりますと、この二人の方は観世音菩薩を表わす言葉として、夜寝ている時に無意識に手を背中に廻して枕を見つけると言う譬えで観世音菩薩の性格を表わされているわけであります。道元禅師が観世音菩薩をどう理解していたかと言うと、我々が手探りで求める動きが観世音菩薩の実態だと言う理解の仕方をしている訳であります。

その事は何を意味するかと言うと、それは我々の持っている生命の働きと言うものを観世音菩薩と言う人格にかたどって表された。それが観世音菩薩信仰だと言う理解の仕方をしておられる訳であります。我々が夜寝ている時、夢うつつでもう何も分らなくなっている時でも、本能的に枕が外れた事に気が付くと、無意識のうちに手を背中の方に回して枕を見つけて、またゆっくり休めるような動作をする。そういう動きの中に、つまり無意識のうちに行われる生命の働きそのものが、観世音菩薩の働きであると言う捉え方をしていると理解できる訳であります。

「観世音菩薩普門品」に表される様な、たとえば船に乗って難破した場合に助けられると言う事に関連しても、助けるものは我々自身の生命である。他の所から何か観世音菩薩と言う人格が現れて救うという事ではなくて、我々自身が持っている生命の中にそう言うものを救うだけの強力な神秘的な力があると言う信仰が観世音菩薩に関する信仰だと見ていいと思うわけであります。、人生には非常に苦しい事、困った事がいくらでも起きるわけでありますが、それは我々自身が持っている生命力によって救済する事が出来るという信仰が観世音菩薩信仰であり、また仏教の信仰であると見て差し支えないと思うわけであります。

時々例に出す話でありますが、我々がたまたま刃物で指を切ってしまった場合に血が流れるわけであります。血が流れるという事がその部分を殺菌すると言う機能を果たす訳であります。それからまた血液が酸素に触れると自然に血液が固まってくる。こういう働きが血液にないと、我々がいったん指をほんのちょっと切っただけでも、血液の止まるという可能性がありませんから、全身の血液が抜け出て生命にかかわると言う可能性も当然ある訳であります。

ただ非常に不思議な事には、我々の体内に流れている血液と言うものは酸素に触れると固まると言う性質を持っているために、傷が出来た場合でも血液が酸素に触れると固まって血液が止まる。そしてその血液の塊を何日かそっとしておくと、いつの間にか新しい皮膚が出来て来て、傷口がふさがってこういう傷が治ってしまう。こういう極めて単純な事実の中にも、我々の持っている生命の偉大さが隠されている。そういう生命の偉大さに対する信仰が、観世音菩薩に対する信仰だと見る事が出来ようかと思うわけであります。そういう観点からこの「正法眼蔵」の「観音」の巻は書かれていると、こういうふうに見る事が出来ると思います。
          次回は「観音」の巻、本文に入ります。




          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
仏教と言うのは救われるのではなくて、自分自身が救いだと言う捉え方ですか。

先生
そういう事ですね。ですから自分と言うものの中に非常に貴重なものが内在している。普段はそれに気が付かないから「困った、困った」と言って外の方向に向かって色んなものを求めている訳だけれども、一切の問題を解決する一番の基礎と言うものは自分自身の中にあるとそういう考え方です。
   

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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」戒名幽村芳春。平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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