FC2ブログ
トップページ | 全エントリー一覧 | RSS購読

正法眼蔵 海印三昧 30

曹山本寂禅師と僧侶との問答について道元禅師の注釈は続きます。

宇宙というものは前の瞬間においても後の瞬間のおいても、それぞれの瞬間に応じてそれなりの内容を持っている。この宇宙の中で行われている様々の動きは、決して生命と無関係という事ではない。その事情を仮に言葉で譬えて見つならば、一人の盲人がたくさんの盲人を誘導している状況だと言える。

一人の盲人が沢山の盲人を誘導すると判定する基礎になっている理論は、さらに一人の盲人が一人の盲人を誘導していると言う事態であり、この事は自分自身が盲であって、しかも盲である自分自身を引き回している事であり、自分は盲ではないと安心してはいられない。そしてさらに多数の盲人が多数の盲人を誘導する様な事態である。

そして多数の盲人が多数の盲人を誘導する様な事態の時には、一切を包含するという事実が一切を包含する事実を包含しているとも言えるのであり、言葉では表現する事のできない宇宙が現にここに、我々の眼の前に存在するのである。

さらに思想の問題に関連して言うならば、釈尊が偉大な宇宙を説いているけれども、その宇宙が釈尊の教えの中にすべて包含されるかどうかという事になると、その釈尊の教えの方が宇宙より大きいのか、宇宙の方が釈尊の教えよりも大きいのかと言う様な事は、必ずしもどちらとも断定できないけれども、疑う事の出来ない現実と言うものは、我々が海にも似た世界の中に現に生きていると言う事実であって、その事だけはどうしても疑う事の出来ない現実そのものである。

           「正法眼蔵海印三昧」
           1242年旧暦4月20日
           観音導利興聖宝林寺において海印三昧の巻を書き記した。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
道元禅師は人間が死んでから、善いことをすると人間に生まれ、悪いことをすると地獄・餓鬼・畜生とかになると、そういう事を言っているんですか。

先生
道元禅師はそういうことを言っておられるわけではなしに、人間というのは地獄に行くのはわけないんですよ。悪い事をすりゃすぐ地獄へ行くんです。だから六道輪廻という思想も仏教の立場から見るならば、人間がどういう境涯に生きるかということであって、輪廻転生の考え方と直接結びつける必要はないというのが仏教の理解の仕方だとみていいと思います。輪廻転生の思想というものを、バラモンの教えの中では非常に強く主張したわけですけれども、それを修正されたのが釈尊の教えですから、釈尊は六道輪廻という考え方をもっと現実的に理解されたとみていいと思います。

※私の独り言
六道輪廻をおさらいしてみました。1・地獄(思い通りにならないという事で苦しんでいる状態)2・餓鬼(あれも欲しい、これが欲しいと、いつも欲望に悩まされて焦っている状態)3・畜生(自分の欲しいものを何とかして得ようと、はたの迷惑も構わず、人を傷つけることも自分を傷つける事も構わずに、とにかく欲望を達成しようと恥も外聞もなく欲しいものを得ようとする状態) 4・阿修羅(畜生の状態が高じて、非常に気持ちが荒れて暴れまわる状態) 5・人間 (暴れまわると、エネルギ-が発散されて、少しは人並みになってくる状態)6・天上(人並みになると、人間はすぐ自惚れて自分は神様だと思う状態)我々は自惚れが原因で、また地獄に逆戻りするという六つの境涯を日常生活の中で繰り返していく。



いつも読んで下さってありがとうございます。 よかったらクリックお願いします。


関連記事
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント

フリーエリア

ご訪問ありがとうございます。 にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
夫と店を始めて43年。生活=仕事。毎日朝晩自宅で坐禅をし、愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで紹介しています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」を授かりました。    

最近の記事

リンク

最近のコメント

カテゴリ

FC2カウンタ-