FC2ブログ
トップページ | 全エントリー一覧 | RSS購読

正法眼蔵 海印三昧 29

曹山本寂禅師と僧侶との問答について道元禅師の注釈は続きます。

銘記せよ。ここで包含(一切のものを包み込む)と言う表現が使われているけれども、この包み込むと言う意味は執着という事ではない。包含という事はとどめないと言う事でもある。その事は拘束されない、こだわらないと言う事に他ならない。我々の住んでいる世界というのは、人間が考えているように、こだわりのある世界、囚われた世界という事ではない。

仮に我々の住んでいる宇宙の一切が、生命のない死屍の様なものであったとしても、何ものをもとどめない、死屍をとどめないという状態における永遠の姿であろう。この宇宙とは何かという問題を考えて見るならば、具体的な一人の年取った僧侶の一挙手一投足の様に、日常生活において執着のない何らかの行動をするという事であろう。

曹山本寂禅師が「我々の住んでいる宇宙とは、中身がどうこうと理論的な解説のできるものではなく生命を超越した何かである」と言われた。この言葉の意味は、この我々の住んでいる宇宙というものは、それが生命と無縁のものであろうとも、あるいは生命と無縁のものでないという事が言えるとしても、結局はそう言うものに一切こだわらないと言う事が宇宙というもののあり方であり、我々の本来のあり方であろう。

生命のなくなった死屍は、そのまま生命のなくなった死屍と見る事ができるとしても、仮にその死屍の様な人間が勇気を奮い起こして宇宙と同じ境地になる様な行いをしたとするなら、その死屍に似た様な人間が勇気を奮って行った行動の際には、宇宙は喜んで宇宙の中に取り込んでくれるであろう。そう言う状況こそ宇宙が一切を包み込むと言う言葉の意味であろう。



           ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
西嶋先生の講義へはほんとに偶然にお邪魔しましたが、私はあっちこっちの講義に行ったんですけれども、「どうもこれは本当じゃないなあ」「あれは違うな」と言って、右往左往してきたんですけれども、この辺のところはどう解釈したらいいんですか。

先生
その点では、一番大事なことは態度が真剣であるということ、誤魔化さないということ。仏道を勉強するについては態度が真剣であるということ、誤魔化さないということが一番大切なことです。だから世間で評判になっている大和尚の前で話を聞いておっても、「これはおかしい」思ったら、それから離れるべきです。

質問
ヤッパリいいんですか。

先生
そうです。ですから、私の話を聞いて「これはおかしいな」と思ったら、よそへ行って勉強するということでいっこうに構わない。仏道修行というのはそういう点で、誤魔化しのない態度で勉強しないと本当のところへ行きつかんわけです。「あの人の話は冗談が多少入っておって大変面白い」ということで聞いておるだけでは仏道というものはわかるものではない。「あの人は大評判で、200人300人の人が集まってくるんだから、多分本当の話をしてくれるんだろう」と思ってその話を聞いておっても、仏道修行とは全く関係がない。そういうふうなおそれがあるわけです。

だから自分の日常生活の細かい問題を色々と考えて、「この人が言っていることは本当か嘘か、本当か嘘か」ということで、絶えず検討し選択していくというのが仏道修行です。だからそういう点では、厳密な態度で勉強するという以外に方法がないと、そういう事が言えると思います。


いつも読んで下さってありがとうございます。 よかったらクリックお願いします。


関連記事
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント

フリーエリア

ご訪問ありがとうございます。 にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
夫と店を始めて43年。生活=仕事。毎日朝晩自宅で坐禅をし、愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで紹介しています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」を授かりました。    

最近の記事

リンク

最近のコメント

カテゴリ

FC2カウンタ-