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正法眼蔵 海印三昧 1

「海印三昧」の巻、本文に入る前に西嶋先生の話です。

これから始める「海印三昧」の巻も非常に難しい巻でありまして、正法眼蔵の中で1、2を争う難しい巻だろうと思います。なぜそんなに難しいかというと、この「海印三昧」という言葉は、仏教の代表的な経典である「華厳経」という経典の中に出てくる言葉であります。

道元禅師は坐禅を中心として仏教思想を理解されていたわけでありますが、その仏教思想というものは「法華経」にも通じれば「華厳経」にも通じると言う広い理解をしていたために、この「華厳経」の中の一つの特徴的な言葉である「海印三昧」というものを取り上げられて、ここでその解説をしておられるわけであります。

「海印三昧」というのは何を言うかというと、坐禅の時の境地、坐禅の時に感じられる中身と言うものを「海印三昧」と言うわけであります。坐禅の中身は本来、言葉では説明できないものという性質があるわけであります。その言葉では説明できないものを何とかして説明しようとされたために、非常に内容が難しくなったという事があるわけです。

まず「海印三昧」の言葉の説明を申し上げますと、梵語(サンスクリット)samudra-mudra-samadhiの漢訳であって、samudraは海、mudraは姿・形、samadhiは坐禅によって得られる境地。ですから「海印三昧」というのは「海の姿に似た境地」と言う意味であります。なぜここで海というものを持ち出したかと言うと、海はその様子が様々に変化する。嵐の時は大きな波が立つし、静かな日には表面が鏡の様になる。

表面が波立ったり静かになったりという変化があると同時に、それだけが海の姿ではなくて、海の中に潜っていくと暗い静かな境地というものもある。そういうところから坐禅の時に味わう事のできる境地というものが海に似ているということから「海印三昧」と言う言葉が出て来ているわけであります。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
坐禅という一つの仏道における修行法ですが、昭和21年に満州の兵隊さんがシベリアへ連れて行かれて、洗脳ということをやられたのが相当大勢いましたけど、その洗脳とは似ていますか。

先生
似ていないと思いますね。洗脳というのは、どういう事をやったのかということは私も実情はあまりよく知りませんけど、思想の入れ替えなんですよね。思想の入れ替えというのは、内地に帰ってきて半年、1年たてばまた元へもどっちゃうんですよ。思想というのはそれほど儚いものです。ただ坐禅の修行というのは、体で身につけるものですから、いわゆる洗脳と坐禅というものとは内容が違うと見ていい。

質問
思想を叩き込むだけである一定の圧力が取れればまた元へ戻ってしまうということじゃなくて、坐禅をして人格の変容という形が起こるんですから、もとへ戻らないということで最近、アメリカその他で坐禅と同じようなやり方をやって、いろいろ実験しているようですが、これは特別な宗教的信仰というものはないようなんですね。そういう事によって人格の変容が起こったりすることもありますけど、そういう時の人格とこの仏道における人格の変容とは、仏道における変容の方が思想的なものの裏付けがありますから、高いということになりますか。

先生
うん、その点ではね、坐禅の修行というのは自分がやる気を起こさないとやれないんですよ。で、いわゆるああいう普通の治療法というのは、患者がもう自分ではどうにもできなくなって医者の手助けを受けて助けてもらうわけですから、その点では仏道修行と違うと思います。「坐禅がいいから、いいから」といって人に勧めようとしても、これは本人がやる気を起こしてやらなければ絶対にやらせられないものです。だからそういう点では、仏道を信じて坐禅をするようになったということは、自主的に坐禅を始めたということですから、これは外部からの他の力で治療を受けるという立場と違うと思います。

※私の独り言。
私が子供の頃よく親戚の集まりがあり、シベリア抑留から帰還した時の伯父の話で盛り上がった事を思い出しました。従兄が「おじさんが戦争(シベリア抑留)から帰っってきた時、ロシア語で挨拶したんだよね。あの時は本当にびっくりしたなあ」と話が始まりましたが、一年も経つと伯父はすっかり元の日本人に戻ったそうです。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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