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正法眼蔵 行持(下) 56

天童如浄禅師に関連して道元禅師の話は続きます。

皇帝が大師号や禅師号という称号を与えようとしても、文章を奉ってこれを辞退し拝謝した天童如浄禅師の行動というものは、古今を通づる優れた例である。時代が遅れて仏道を学ぶ我々にとって勉強しなければならないところである。自分(道元)は中国に行って直接この眼で亡き師匠である天童如浄禅師にお会いできたという事は、これはまさに真の人間にお会いできたという事である。

亡き師匠は故郷を19才の時に離れて自分の師匠をたずね、坐禅を通じて仏道修行をする事が65年に及んだが、それでもなお努力をやめたりを後退させたりすることがなかった。そして皇帝に近づいて時間を潰すという事もなかったし、皇帝にお目にかかるという事すらなかった。また国の大臣と仲良くしたり、その他の役人と仲良くしたりするという事がなかった。

※西嶋先生解説
当時中国の仏教寺院というものはかなり国家権力の影響があったように思われるわけであります。ですから役人と仲良くすることが僧侶として出世するためのかなり大事な手段であったらしい。だから普通の僧侶というのは一所懸命役人と交際して、役人に気に入られるようにという努力をしていたわけでありますが、天童如浄禅師にはそういう事がなかった。

本文に戻ります。
紫の衣、大師号、禅師号と言う称号を文章で辞退しただけでなしに、一生の間、模様のついた立派な袈裟はかけなかった。法堂における正式な説法の場合にも、自室で個別に弟子を訓育する場合にも、黒い袈裟を着て黒い衣を使用された。

僧侶たちを訓育するに当たって言われたことは「坐禅を通じて仏道修行をするに当たって一番大切な事は、真実を知りたいと言う切実な願いを持っている事であって、これが仏道を学ぶ出発点である。ところがこの200年間と言うもの、釈尊の教えや達磨大師の教えが廃れてしまったのは非常に悲しい事である。まして仏道に関連して真実を説き示すたった一つの言葉さえ、口にすることのできる人はほとんどいない」と。



              ―西嶋先生の話―

道元禅師は中国に仏道を勉強に行かれて、中国でも最初は「これは」と思う師匠に出会う事が出来なかった。それで、どうも中国の仏道も日本とだいたい似た様なものかもしれないと落胆されて、そろそろ日本に帰国しようかと考えておられたときに、天童如浄禅師が景徳寺の住職になられたという話を聞いて、さっそく景徳寺に行って天童如浄禅師にお会いした。

天童如浄禅師にお会いした瞬間から、この人こそ自分の求めていた師匠だと直観したし、事実、天童如浄禅師から仏道の非常に大切な教えというものを教えられて、それを持って日本に帰ってこられた。だから道元禅師の天童如浄禅師に対する尊敬の念というのは非常に強い。この「行持」の巻でも、天童如浄禅師に関する箇所は道元禅師が非常に感激をもって書かれておられるという面が文章の中からくみ取れるわけであります。

特に「名誉を愛したり利得を愛したりという事は、戒律を犯すよりもなお悪い。戒律を犯すという事はその時だけの誤りである。しかしながら名誉を愛し、利得を愛することは一生仏道修行の邪魔になる」という考え方は、仏道を理解する上においては非常に大切なこと。

普通は戒律を犯す方が重大問題と考えている。だから「戒律を破っちやいかん」という事で一所懸命努力しているわけだけれども、道元禅師が天童如浄禅師から教えられた大切な思想の一つは、戒律を犯すよりも名誉や利得に気持ちを奪われる方が仏道修行にとっては邪魔になる。なぜかというと富士登山で言えば名誉や利得を得るという事は七合目、八合目、そこで止まってしまって、富士山のてっぺんに登らなくなるから。

このことは仏道を勉強する上においても、人生を生きる上においても非常に大切、七合目、八合目の目的を一所懸命に得たいと思って頑張っておると、七合目、八合目に行った時に「やれやれ」という事で、その上に登ることが嫌になっちゃう。ただその上に登らないと人生の意味というのは分かってこない。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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