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正法眼蔵 行持(下) 54

天童如浄禅師に関連して、道元禅師の話は続きます。

中国における達磨大師から大鑑慧能禅師にいたる6代にわたるそれぞれの教団指導者の方々は、いづれも大師や禅師号なりを持っておられたけれども、これらはいずれもこれらの方々が亡くなって以後、皇帝から賜ったものである。生きておられた時に、名誉や利得を得る事を望んで大師や禅師号と言う名称を受けた訳ではない。

この様なところから考えていくならば、何よりもこの我々の人生において災いとなる名誉や利得というものに愛着する立場を捨てて、釈尊以来代々の教団指導者によって受け継がれて来たところの清い行いや戒律の保持を自分のものにしたいと願うべきである。名誉や利得を貪ったり好んだりして鳥や獣と同じ様な状態になってはならない。

そして、自分自身というものは決してそう大したものではないけれども、その大した価値もない自分自身を何とか大切にしたいという気持ちで名誉を貪り利得に愛着するという事は、鳥や獣も自分自身を大切にするという状況はあるし、鳥や獣ばかりではなくその他の動物も自分自身を大事にするという気持ちはある。

なお名誉や利得を捨てるという事は、なかなか例のないところだとされているけれども、教団指導者で名誉や利得を捨てなかったという例はない。



              ―西嶋先生にある人が質問した―
 
質問
私は坐禅をしている時に、雑念がわいてきたらポケッとした状態でいます。こんなにポケッとしていて、なぜこんなに気持ちがリラックスするんでしょうか。それから私は今日こちらに来ます時、足が非常に軽々としてサッササッサと喜んでいる自分を感じるんですね。なぜ坐っているだけで、気持ちがこんなに楽になるのか。そして今迄知らなかったという事で、非常に感激しちゃうんですね。これは何でしょうか。

先生
それはね、人間というのは本来そういうもんですよ。ただ頭を使ったり、過去の習慣から自分を押さえつけたり歪めたりしていると言うのが、普通誰にでもある事なんですよ。だからボケ-ッと坐っておるとそういう歪みは全部取れちゃうわけです。そうすると自由に動けるようになる。それが坐禅の意味ですよ。だから、一所懸命坐禅をして悟りを開くなんて事ではなしに、色んな束縛と言うものから自分を解放すると言うのがねらいなんです。 
 
質問
そうなんです。こんなに気持ちが素直に気持ちよくのびのびしているって、今迄感じなかったなと。それから平常私の生活の中で、色々な人間関係なんかで摩擦とか自分自身に背負い込んでいる重荷とか、そういうものを背負っている時にはすごく哀れな感じがしましてね。こういう状態に私もなれる、という事を実感しましてすごく嬉しかったです。

先生
そう。だから本来の貴方の状態というのは開放された状態であるわけですよ。自分で縛り付けたり、自分で歪めたりして「苦しい、苦しい」と言っているのが普通の状態なわけですからね。だからそういうものが、何処かへ行ってしまえば、非常に自由に動けるという事だと思います。

質問
就寝前に15分でもやらないではいられないって言う感じで、僅かな期間にこんなに変わったと言うのが不思議なんです。

先生
それは非常にいい事ですよ。坐禅をしているとその後の睡眠が非常に健全になるのではないかと思います。だから比較的短い時間でもよく寝られて、寝起きがいいと言う事がありますね。どうぞ続けて下さい。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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