トップページ | 全エントリー一覧 | RSS購読

正法眼蔵 行持(下) 50

南嶽懐譲禅師が馬祖道一禅師に与えた「偈」について道元禅師が注釈されます。

南嶽懐譲禅師の「故郷に帰るのはやめなさい」という言葉の意味は一体何であろうか。どう理解しなければならないのであろうか。元来それが東であれ、西であれ、南であれ、北であれ、いずれかの方向に帰るという事は、単に自分自身が寝たり起きたりするのと同じような恣意的な動作である。つまりあっちへ行ったり、こっちへ行ったりと動いているだけの事である。

※西嶋先生解説  
「様々な場所に行くと面白い事があるから、ぜひ行きましょう」と言う広告がJRの駅にはたくさん貼ってある。こっちは一所懸命仕事に行くために電車に乗っているのに、ああ言う広告を見てるとJRの人はよほど遊ぶんじゃないかと言う感じを受けるくらいに、あっちが面白い、こっちが面白いという広告が出ている。確かにあっちへ行く、こっちへ行くのは面白いことではあるけれども、それが人生の最高の意味かと言うと、中々そうでもないというふうなことがあろうかと思うわけであります。

若い時にはあっちへ行って面白かった、こっち行って面白かった、またそれが大変勉強になるというふうな事もあるわけでありますが、そういう事も慣れてしまうと、わざわざ出かけて行く必要がないと言う事情でもある訳です。電車の切符を買って遠くに出かけるよりも、自分の部屋でジ-ッと坐禅をしている時の方がはるかに人生問題がよくわかると言うふうな問題もある訳です。

そうすると、汗水流してあっちこっち遠くへ出かけるのと、自分の家で坐っているのと、どっちが楽しいかと言うと人によって色々だろうけれども、必ずしも出かける事だけが楽しみだとは言い切れない面がある。そういう意味を込めて、自分が立ったり、坐ったり、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりと動いているだけの事だ。

本文に戻ります。
仮に帰郷する場合には仏道修業の面は疎かになるけれども、とにかく帰郷には違いないと意識して行動するのであろうか。あるいは帰郷などではないと考えて行動するのであろうか。つまり自分の故郷がどこにあるのか。生まれた土地が故郷なのか、自分の本来の状況と言うものが故郷なのか。

故郷に帰ることがどうして仏道修行が疎かになる結果に繋がるのか。自分自身の心がけで仏道修行がおろそかになるのか。このような様々な状況が考えられる。そういう意味が南嶽懐譲禅師の「故郷に帰るのはやめなさい」と言う言葉の中には含まれている。



              ―西嶋先生の話―

私は仏教の説明に当たりまして、よく「理想主義」とか「唯物論」とかという言葉を使うわけであります。この理想主義とか唯物論とかという言葉は、仏教経典の中に「常見外道」とか「断見外道」とかと言う言葉がありまして、釈尊が説かれた教えというものは、常見外道と断見外道のちょうど真ん中の教えだという事が基本にあるわけであります。ですから今日の言葉で仏教を説明しようとしますと、どうしても理想主義や唯物論という言葉で説明しざるを得ないわけであります。

この会に来ておられる方々は、私がそういう説明を何十回としておりますから、大体の見当はついておられると思うわけでありますが、この会を離れて理想主義とか唯物論とかと言う話をしますと、たいていの人がうんざりしてしまう。「そんな理屈っぽい話をしてもらっても一向に面白くない」と、こういう事があるわけであります。ただ理想主義とか唯物論とかというものは、単に哲学の本の中に出てくる言葉と言うだけのものではなしに、我々の日常生活の中にはっきりとあるという事を、仏教を勉強していく上においてはハッキリ承知しておらなければならん問題だと、こういうふうに考えるわけであります。

その点では、日本の国民はここ数十年の間に大変結構な経験をしているわけであります。それはどういう事かと言いますと、第二次世界大戦以前に日本の国民の間に行われておった大部分の考え方は理想主義、それから第二次世界大戦以後に日本の国民の間に行われておる考え方というのは大体において唯物論と見ていいわけであります。

日本は明治維新という政治的な変動がありましたが、その主な理由は国力を強くして諸外国に追いつかなければならないと考え、そのための努力の出発点として明治維新があったわけであります。ですからそれ以後、日本の国民は外国を理想の国と考えて、早くああいう国に追いつきたいという事で一所懸命努力した。

                             つづく--
※私の独り言
しばらくは、1919年(大正8年)生まれの先生が実際に体験された、戦前、戦後の出来事をもとに、理想主義とか唯物論とかをわかりやすく解説されます。


いつも読んで下さってありがとうございます。 よかったらクリックお願いします。


関連記事
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

最近の記事

最近のコメント

リンク

カテゴリ

フリーエリア

坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

FC2カウンタ-