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正法眼蔵 行持(下) 44

芙蓉道楷禅師の言葉は続きます。

過去における隠山に住んでいた龍山禅師は、亡くなるまで人と顔をあわせることがなかった。趙州禅師は、亡くなるまで仏道修行を口先だけで説明される事はなかった。匾擔暁了禅師は、しば栗の実を拾って食べ物とした。大梅法常禅師は、蓮の葉使って衣服とした。紙衣道者は、紙を衣服とした。

南嶽玄泰上座は、植物繊維の衣服のみを着た。玄太という長老は植物でできた繊維だけを着た。石霜禅師は枯木堂と呼ばれる坐禅堂を建て、その中で沢山の僧侶と一緒に寝起きをともにした。ただただ自分自身の心を徹頭徹尾把握する事だけを念願としたのである。投子大同禅師は、僧侶に米を計らせ一緒に炊いて一緒に食べた。これは各自が自分自身の本来やらなければならないところを、しっかり掴む事を専一に求めた結果である。

今ここに述べた沢山の仏教界の先輩方はいずれも、この様な手本を示されている。この様な優れた手本がないならば我々はどうして人間として生き、また仏道修行をしている事に喜びを感じる事がありえよう。



          ―西嶋先生にある人が質問した―
    --つづき

道元禅師は、物事を頭の中で考えるだけでは人生問題の解決がつかんと言う事をはっきりと自覚され、そう言う世界から抜け出して本当の意味で自分の人生を掴むためには、どうしても坐禅が必要だと言う主張をされたわけであります。ですから道元禅師の考え方からするならば、世間一般のものの考え方が真実の考え方であるかどうかは疑問だ。

世間では真実とは食い違った夢のような考え方を持って各人が生き、またそう言う考え方を中心にして運営されているのが普通の世間の姿であると考えている。だからそう言う世界から早く抜け出して、自分と同じような世界に住む様にと言われた訳であります。自分(釈尊)と同じ世界に住むためには坐禅と言う修行法があると、そういう事を説かれた訳です。

梅原猛さんは坐禅をやっておられないから、確かにそういう立場では道元禅師が説かれた世界と自分の世界は違うと感じられた。それと同時に、梅原さんの立場からするならば西洋哲学で考え抜いた世界が唯一の世界であり、それが中心の世界だと感じたために「アウトサイダ-道元」と言う表題になったと思うわけであります。
 
道元禅師の立場からすると、自分の住んでいる世界、坐禅を中心とした世界が真実の世界。だから早くこちらに入って来なさいと言う主張をされたわけであります。そうすると道元禅師の立場から見るならば、つまり仏教の立場から見るならば、道元禅師がインサイダ-(中にいる人)で、梅原猛さんがアウトサイダ-(外側の人)と、こういう相対的な関係があるという事が言えると思います。

「アウトサイダ-道元」と言う表題は、梅原猛さんが道元禅師の主張している世界の中にまだ入っておられないと言う事が、梅原さん自身がつけられた表題からも推定できるのではないかという感じを受けたわけであります。

                              つづく--


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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