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正法眼蔵 行持(下) 43

芙蓉道楷禅師の言葉は続きます。

名誉や利得については無限の過去からずっと続いているものであり、その様子がどんなものであるかは人々は十分に知っているけれども、様々な社会生活をし様々な努力をする生活の実態を眺めてみるならば、頭を尻尾と思い違いをする状態で様々な問題に頭を悩まして苦労しているに過ぎない。その様な状況というものに、どうして苦しい苦しいと感じながら、欲しがったり、名誉や利得を手放す事を惜しがったりする必要があろう。 

今その様な状態から脱け出すのでなければ、将来いつの時にその様な状態から脱け出す時期を期待する事が出来よう。過去における先輩方がどう言う事を教えれれたかと言うと、人間は誰でも現在の瞬間を徹底的に生き抜くべきだという事を教えられた。そして現在の瞬間に自分自身の全力を尽くす事ができるならば、それ以外に何の問題がありえよう。

※西嶋先生解説
仏道修行というのは現在の瞬間を精一杯に生きること以外には何もない。道楷禅師のような高僧でさえそうだ。まして我々は現在の時間において常に燃焼しておればよいという事になるわけであります。

本文に戻ります。
仮にそのような形で仏道修行の成果が現れて心の中に何の問題もなくなった場合には、釈尊が非常にありがたい教えを説かれたけれども、その釈尊の教えすら自分の禍になるような状況に達してしまう。一切の世間的な事柄というものは、そのままそっとほっておけば、たいして熱も持たず、淡々とどういう場面でも受け入れることができる。その様な状況になった時、我々は初めて釈尊の境地と通じ合う事ができるであろう。


      
           ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
梅原猛さんの書いた「仏教の思想」と言う本を読んでいますが、道元禅師の人柄なり思想についての解説で、この会で先生が話されている解説と大変違うので、梅原さんに対する先生の考え方を聞かせていただけませんか。

先生
梅原さんの書かれた「仏教の思想」は、まず道元禅師について書かれた解説が二つの部分に分かれております。一つは道元禅師の人生に関連して人柄なり生涯が書いてあります。 二つは道元禅師の思想が書いてあります。表題が「アウトサイダ-道元」とあります。インサイダ-と言う言葉に対しての言葉でありますが、どうも梅原さんの立場から見ると、道元禅師は外側の人であるらしいと感じるわけであります。

なぜ梅原さんが道元禅師を外側の人と感じたかと言うと、梅原さんは京都大学の哲学科を出まして、西洋哲学についての力はご自分でも大いに自負てしおられる方だと思います。西洋哲学を勉強されて、およそこの世の問題で西洋哲学の思想で説き切れない問題はないと言う確信を、あるいは持っておられる人ではないかと言う気がいたします。

梅原さんのそういう立場から道元禅師の思想を読んでいくと、どうもよくわからない部分がある。少なくとも自分の住んでいる世と別の世界に道元禅師は住んでおられると言う感じを受けたものと思われるわけであります。したがって自分の住んでいる世界とは別の世界にいる人と言う意味で「アウトサイダ-道元」と言う表題をつけたものと思われます。

ところで道元禅師の立場と梅原猛さんの立場とどこが違うかと言うと、坐禅をやっておる立場と、坐禅をやっていな立場との違いがはっきりあると思う。
                            
                             つづく--


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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