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正法眼蔵 行持(下) 41

潙山霊祐禅師の話に関連して道元禅師の注釈は続きます。

この様な形で潙山霊祐禅師が山の中で一人清い行いをし戒律の保持をされたところから生まれた言葉を、我々は見たり聞いたりして今日に至っている。このような潙山霊祐禅師の生活というものは、体を安易な状態において聞いてはならないところであるけれども、清い行いや戒律の保持という努力が潙山霊祐禅師の恩に報いる方法だと分っていない場合には、安易な気持ちで潙山霊祐禅師の話を聞く事があるかもしれない。

たとえ時代が遅れて仏道修行をするものであっても、心あるものは潙山霊祐禅師の山中における生活を、現にわれわれが見ている情景のように想像して、非常に感慨深い事であると感じない者がありえよう。この様な潙山霊祐禅師の清い行いや戒律の保持が、真実の力を発揮し、それを弟子たちに教えるという効果が現れて、釈尊の教えについては微動だもする様な事態が生まれず、世界も決して破壊される事態が起きず、国土も穏やかに保持されてきたのである。

仮に潙山霊祐禅師の系統を引く仏弟子でなかったとしても、やはり潙山霊祐禅師は仏教界における大先輩であると考えるべきであろう。その後に仰山慧寂禅師が潙山霊祐禅師のところに来て、侍者として身の回りの世話をするようになった。仰山慧寂禅師はかつて百丈懐海禅師の教団にあって、10の質問を受けると100の答えが出来てまさに舎利仏の様な秀才であったけれども、潙山霊祐禅師の弟子となって、さらに3年間仏道修行の努力をした。

この様な潙山霊祐禅師や仰山慧寂禅師の仏道修行のやり方は、最近では絶えてしまって見たり聞いたりする事のないような清い行いであり戒律の保持である。仰山慧寂禅師は三年間の仏道修行の後は、さらに仏道に関する疑問を持って人に教えを受ける必要がない状態になった。                   



              ―西嶋先生の話―

仏教の教え―1・四諦 2・因果の理法 3・刹那生滅の論理 4・坐禅

1番目の四諦は何回もやりましたので、2番目の因果の理法をどう考えたらいいかという事を簡単に申し上げます。釈尊がこの世の中はすべて原因、結果の関係で出来ているという因果の理法を説かれた。だから、原因、結果の関係を究明した科学の教えと仏教の教えとは矛盾しない。何らかの思想で科学の知識と矛盾するような教えは、捨てなければならないし従ってはならない。そういう形で釈尊が因果の理法というものを説かれた。

ただこの因果の理法をそのまま受け取ると非常に困った問題ができる。それは何かと言うと、現在が過去によって縛られるという事になると過去の事実が一切を決め、因果関係を信ずる限り過去の出来事が現在を決め、現在が未来を決めるという事になると昔から決まってしまった路線を人間は歩かなければならない。それは人間に自由がないという事を意味するわけです。人間に自由がなければ、善いことをやりたいと思ってもそれが出来ない、悪いことをやりたくないと思ってもやってしまう。そういう状況が因果の理法を信じた場合には必ず出てくる。

そこで釈尊がその矛盾をどう解決されたかと言うと、三番目の原則として「刹那生滅の道理」というものを言われた。「刹那生滅の道理」というものは行いに関するところから生まれて来る。頭で問題を考えれば、過去・現在・未来という時間は繋がっているという考え方が出来るわけでありますが、行いを中心にして問題を考えると、人間の生きる時間というものは現在の瞬間しかない。

過去に何か間違いを犯したとしても、「あんなことをしなければよかった」と言っていくら悔やんでも、時計が逆戻りして昔に戻って間違いをやり直すという事は絶対できない。そうすると人間は過去の時間には絶対に生きられないという事実がある。それからまた、将来はこういう事をしましょう、ああいう事をしましょうという夢を持っていても、それの実行できる時間というのは現在の時間にならなければ実行できない。だから人間は未来にも生きられない。

人間が生きるたった唯一の時間というものは現在の瞬間でしかない。釈尊が説かれたのは、我々はそういう現在の瞬間に生きている。だから現在の瞬間というものはちょうど剃刀の刃の上にのった真珠の様に、ほんのわずかな手加減で右に落ちたり左に落ちたりすることが出来るから、現在の瞬間においては人間は自由だ。過去に縛られているけれども、いま何をしようかという時にそれを自分自身で決めることが出来る。そういう形で「刹那生滅の道理」というのが三番目の原則として釈尊によって説かれた。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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