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正法眼蔵 行持(下) 28

太祖慧可大師の説話について道元禅師の注釈は続きます。

太祖慧可大師はこの様な経過で達磨大師の教えに従って仏道の修行を始めその奥深い境地に入る事が出来た。そして身の回りの世話をする事が8年に及び、その間における労苦というものは大きなものであった。この様な太祖慧可大師の例は、まさに全ての人々がその指導を受けるに足りる偉大な師匠である。このような激しい努力と言うものは、インドにおいても聞いた事がなく中国において初めて太祖慧可大師の例として聞き得るところである。

釈尊と摩訶迦葉尊者との間に交わされたやりとり「破顔微笑」の故事は、摩訶迦葉尊者に聞くところであり、達磨大師と太祖慧可大師との間に交わされた「汝わが髄を得たり」と言う問答は太祖慧可大師に学ぶところである。

※西嶋先生解説
破顔微笑とは、ある日釈尊が説法のついでに優曇華の花を手に持って、その花の意味するところが分るかと言う謎かけを聴衆にかけられた。しかし、聴衆は釈尊の意図しておられる事が理解できなかったけれども、その中でたった一人摩訶迦葉尊者だけがにっこり微笑して、釈尊の意味するところが分ったと言う表情をされた。そこで釈尊が摩訶迦葉尊者を自分の後継者となる事を許された。
汝わが髄を得たりとは、達磨大師がある時自分の弟子に対してそれぞれが仏道修行の結果得たところの境地を言わせた。太祖慧可大師以外の三人の弟子はそれぞれ自分の境地を述べた。しかし太祖慧可大師は一言も言わずに達磨大師に対して礼拝をした後、自分の席に戻ってそこに叉手してじっと立っていた。この時、達磨大師は太祖慧可大師に対して「汝わが髄を得たり」と言われた。

本文に戻ります。
静かに観照し考えてみるに、達磨大師の様な優れた方々がたとえ千人、万人とインドから渡来されたとして、太祖慧可大師が達磨大師の教えに従って日常生活を正しく規律し戒律を保持するという生活をされなかったならば、仏道は後に続く事が出来ず、今日、我々が仏道を学び仏道修行を行うという事はあり得なかったであろう。

幸いにして太祖慧可大師がおられたから、現在われわれは釈尊の教えを見たり聞いたりする事の出来る人となった。太祖慧可大師の恩義は必ずこれに報いなければならない。



           ―西嶋先生にある人が質問した―  

質問
坐禅をしている事と、人々を救済すると言う事についておたずねします。私たちが1日1,2回坐禅をして、そこから何かを把んで行動すると言う事でよろしいのですか。

先生
坐禅をすれば、自然に人を救うと言う場面も出て来るという事です。救わなければならないとか救いたいと言う事ではなしに、自分が自然の状態になれば困っている人には手を差し伸べてやりたいと言う気持ち、抑え様としても出て来てしまうと言うのが実情だとそう言う事ですね。

だから普通、宗教家は「人を救うんだ!」と言う事に非常に重点をおきますが、人を救うと言う様な事はごく当たり前な事でね。非常に不幸な状態であれば、それをもとに直す、本来の状態に持っていくと言う事が救いと言うふうな形で現れる場合があるというだけの事。一番基本はこだわらない立場に戻るという事。こだわらない立場に戻れば、不幸な状態があれば直したいと言う気持ちが当然出て来る。そういう事ですね。

質問
恩を受けてその恩を返すのに、受けた方が幸福である様にその人のためを考えてやるのが恩返しだと思うのですが。行持の巻ではそうではなくて、自分が一所懸命「行持」をやっていくのが恩返だと、その方が楽なんですが、それでいいんでしょうか。

先生
そう、それは本当だと思いますよ。と言うのは、まあ仮に太祖慧可大師の気持ちを推し量った場合に、後の世の人がやってくれる事で一番ありがたい事は坐禅をやってくれる事ですよ。だから太祖慧可大師と言えども、将来日本の国で何人の人が坐禅をやってくれるかという事は重大関心事です。それが100人だろうか、1000人だろうか、と言う様なことが一番問題ですよ。仏道とはそう言うものです。
     
だから私も、皆さんに対する一番やっていただきたいのは坐禅なんです。私が一番嬉しいのは皆さんが坐禅をやって下さっている時が一番嬉しい。それ以外に仏道はないんですよ。だから何よりもそれが嬉しい。仏道というのはそういうふうにして伝わっていくものです。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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