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坐禅とケセラセラ

今日はケセラセラに付いて。

ケセラセラは「それでいいよ、それでいいよ」と言う意味です。
約半世紀前の映画音楽だったと思います。
「ケセラセラ なるようになるわ、先のことなど わからない ケセラセラ」と言う日本語訳の歌でした。

ケセラセラには、二通りの解釈が一般的です。
解釈1
何をやっても無駄なこと、なるようになるさ、ケセラセラ、やってみたってダメなんだ。

自分はたいした人間ではありません、自分は分をわきまえてます、と一応謙遜をする。
この世は自分の思うどうりにならないのだから流れに任せればよいとばかりに、何事も他人任せにして自分を主張しない。
しかし、頑張っている人を見ると馬鹿に見えて、私はご勘弁と決め込んで自分では動かない。
そのくせ、人にやらせたその結果に対して、不満不平を言う。
挙句の果てには、ずるい人だと言われるが本人は気付かない。
周囲が、なぜ何もしてくれないのかわからない。


解釈2
何をやってもいいのだ、なるようになるさ、ケセラセラ やってみなけりゃわからない。

自分のやる事には間違いはないとばかりに、他人に対して厳しく言う。
でも自分一人では何も出来ない。
しかし、周囲の人たちがのろまに見えて自分がどうにかしなければと思い、周囲がどんなに迷惑していようがやりたい放題。
挙句の果てには、自分勝手といわれるが気付かない。
周囲がなぜ反発するのかわからない。

仏道では、このどちらも間違いであると主張します。
自分でやりたい放題にやるやり方では問題は解決しないし、又他人を当てにするやり方でも問題は解決しません。
ましてや、自分の体調や精神状態が悪いときには、破滅へと向かってしまうかもしれません。
人間がまともに生きるには、ケセラセラをやっていては何も解決しません。

ケセラセラはひとつの真理であると言えますが、その真理を真理とするには、自律神経がバランスしていなければなりません。
自律神経がバランスしている状態とは、ちょうど左右どちらにも傾くことなく、前に進む自転車に乗っている時に似ています。
バランスしていれば転ぶこともなく、左にも右にも曲がる事が自由自在に出来ます。
それと同じように、自分自身が自由自在の状態にある時が、自律神経がバランスしている状態です。
毎日の日常生活は自律神経がバランスしていて、自分のやりたい事そして自分がやりたくない事が、自分の思うようにセッセと出来る力がなければなりません。

そのために、私は全ての人に坐禅を勧めます。
自律神経がバランスさせるには、坐禅が一番です
坐禅は言葉で説明できないものですが、あえて言葉に表すとすれば
坐禅そのものが、自律神経がバランスした状態です。
坐禅は安楽の法門であるから、全ての人が簡単に体験・実践できます。
坐禅をして自律神経をバランスさせることは、人間の義務であると言い切れます。
自律神経をバランスさせて、自分自身を自由自在に操れるようになれば、安心立命が得られます。
                                    

読んでいただきありがとうございます。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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