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正法眼蔵 行持(下) 23

香厳智閑禅師の言葉について道元禅師の注釈はさらに続きます。

そこで、やがては塵や土に変わってしまい、人からも嫌われれる定めになっているを髑髏(しゃれこうべ)を活用して、釈尊の説かれた正しい教えを実践する幸いを現時点において確保すべきである。

このような理由から、寒さの苦しみを恐れる必要は少しもない。寒さの苦しみが人を実質的に損傷した例はいまだかつてない。そしてただひたすらに仏道修行をしないという事を恐れるべきである。なぜならば仏道修行をしない事が人間を損傷し真実を破壊する。また暑さを恐れる必要は少しもない。暑さが未だかつて人を損傷したと言う先例がない。また暑さが真実を破壊したという事も未だかつてあったためしがない。しかしながら、仏道修行をしないと言う事が、人間を損傷し真実を破壊する可能性は十分に考えられる。

経典の中に釈尊が馬に食べさせる麦を供養として平然と受けられた事例や、伯夷と叔斉と言う兄弟が当時の周の政治に納得がいかず山に入ってワラビを食べついに周の国の粟を食べなかったという話が出てくる。それぞれ出家(僧侶)、在家(俗人)における優れた事蹟である。血を求めたり乳を貪ったりして単に食料を得るという事に狂奔して、鬼や獣と同じ様な生き方をしてはならない。

ただ清い行いをし戒律を保持しているところの一日こそは、まさに真実を得られた沢山の方々とまったく同じ行動を行っている一日である。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
達磨大師が一冊の本も持たずにインドから中国に来たという事から、達磨大師はどんな系統の事を勉強したのかと思っていたら「達磨の語録」と言う柳田聖山という人の本があった。それを見たら「二入四行」ということと、無神論というか…、よくわからなかったんですが・・・。

先生 
達磨大師の思想というのはどういう思想であったかというと、釈尊の教えだったという事が一つ。それから中国へ経典を持ってこられなかったという事は、達磨大師の体そのものが仏道であったという事です。だから達磨大師が中国に行くという事が仏道が中国に伝わるという事でしかなかった。そういう事があると思います。

だから、思想傾向がどうだったとか、達磨大師の思想はどうだったという事ではなしに、達磨大師の思想は釈尊の思想でしかなかった。時代が異なり、場所が異なると、現れ方は違いますけれどもね。釈尊の思想というのはたった一つしかない。それが達磨大師に伝わり、道元禅師に伝わり、我々に伝わっておる。

だから我々が坐禅をしておるという事は、達磨大師よりもずっと先の釈尊と同じことをやっておる、釈尊と同じ心境になっておるという事でしかない。坐禅というものを中心にして、釈尊の思想というものが、時代が変わり、場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきていると、そういう事が言えると思います。

だから達磨大師が特別に達磨大師としての思想を持っておられたんじゃなくて、「釈尊の思想というものが達磨大師の時代には達磨大師の言葉のような形で現れたというに過ぎない、そういう事が言えると思います。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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