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正法眼蔵 行持(下) 12

「石門林間録」に出て来る達磨大師の話に関連して、さらに道元禅師の注釈は続きます。

中国における最初の仏教教団の指導者である達磨大師は、釈尊から数えて第28代目の法(釈尊の説かれた宇宙秩序)を継いだ方である。釈尊の教えというものを知り、それを修行して法を継がれて以降、ますますその重要さというものは加わって来た。

この様に優れた尊い方である達磨大師がさらに師匠の命令に従って、体や命を惜しむ事なく万里の波濤を超えて中国に渡られたという事は、ただただ釈尊の説かれた宇宙秩序を中国に伝えたいと言う気持ちからであり、多くの人を救済したいと言う念願からであった。

中国では達磨大師がインドから来る以前には、釈尊の教えを正統な後継者から正統な後継者へと一系に伝承された仏弟子を見る事はなかったし、師匠と弟子とが一対一で法を伝承するという形で師匠から受け継いだ人がいなかったし、釈尊ご自身の人格に直接触れるという人がまだおられなかった。そして達磨大師以降の時代においても、達磨大師の弟子以外にさらにインドから釈尊の教えを持って中国に来たという人はいなかった。

※西嶋先生解説
ここで道元禅師が達磨大師をなぜこのように尊敬されておられるかというと、中国には達磨大師以前から経典の形で沢山の仏教は伝わったわけですでありますが、道元禅師は仏教の中心は坐禅であると考えておられますから、坐禅を中心にした仏道が伝えられたのは達磨大師によるものであり、また達磨大師以降、その他の弟子の人々によってさらにインドから坐禅が伝えられるという事はなかったと、こういうことを言っておられるわけであります。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
善悪の問題について、私「正法眼蔵」を一所懸命ひっくり返して読みましたところが「身心学道」の巻に「十悪をはなれ、八戒をたもつ」という言葉がありまして、「十悪」は殺生・偸盗・邪淫・妄語・倚語・悪口・両舌・貪・瞋・痴ですね。それからもうちょっと足りないと私が思うところは「十重禁戒」の不酤酒戒・不謗三宝・不自賛毀他戒ですよね。その様なのを加えると、だいたい悪の基準というものが漏らさず入るんじゃないかという気がするんです。

先生
善悪の問題というのは、これは頭で考えただけでは中々わかりにくい問題だというのが釈尊の教えにはあるわけですよ。四段階の考え方で問題を考えてみますと、1番目(苦諦)では、戒律を守るという事が善か悪かの基準になるわけですよ。じゃあ2番目(集諦)の段階ではどうかと言うと、自然の理法に背かないという事、人間の体でいうならば健康を保つという事にもなるわけです。

3番目(滅諦)の考え方、日常生活に関連して言うならば、自分自身のやりたいと思う事をやりながら、周囲に逆らわないという事。だから易しいようで中々難しいという面もあるわけです。こういう三種類の行いというのはどれも難しいんですよ。人間はまずやることが不可能だという事を断言してもいいほど難しいですよ。

そこで4番目(道諦)の段階で、釈尊は「坐禅をしなさい」という事を言われた。坐禅をすることによって戒律も守れるようになる。自然の理法に逆らわないようになる。日常生活においても、自分のやりたいと思う事をやりながら周囲と摩擦を起こさない生活が出来るぞと、そのための唯一の道は坐禅だと、こういう事を言われていると理解することが出来ると思います。

ですから仏教(釈尊)の教えというものは、善悪というものは意識しても実行できるものではないと、こういう事が基本にあります。で、意識しても実行できないものだから、坐禅をやることによって救われるしかないと、こういう主張が釈尊の教えだとみていいと思います。

質問
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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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