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正法眼蔵 行持(下) 10

「石門林間録」の中に出て来る達磨大師の話に関連して道元禅師の注釈は続きます。

中国においては天体の様子や自然の地形の様子を勉強する事によって、天・地・人というものの理解がついてきた帝王もいたわけであるけれども、まだこの様な優れた君主の教化に出会っていないわが国(日本)の人々は、帝王に仕えるとはどの様な事か、親に仕えるとはどの様な事か、それらの事をどう学んだらよいのかがわかっていない。

その点では、この国(日本)の帝王と言えども哀れな人々であり、親戚縁者も決して恵まれた人々と言う訳にはいかない。また家臣となった人も子供となった人も、目の前にある差し渡しが一尺もある様な非常に価値の高い宝玉に気がつかずに通り過ぎてしまう事もあるし、さらにそれらの宝玉よりも価値があると考えられている、ほんの僅かな時間をも無駄に過ごしてしまうのである。

この様な国家(日本)に生まれ、この様な環境に生まれた場合には、国情からするならば、国内の大切な職務を人に与えようとする余裕のある人はいない。自分が持っている軽い政府の役職と言えども人に与える事を惜しむと言うのが実情である。その状況というものは、国が様々に乱れている時もそのような状況であったし、国が治まった時であっても、中々そういった優れた事例を見たり聞いたりすることは稀であろう。

この様に日本の国は文化から遠ざかって、中国に比較するならば極めて劣った国情ではあるけれども、その様な境遇にも拘わらず釈尊の説かれた正しい教えを存分に聞く事ができるのであるから、その過程においてどうしてこの卑賎の体、命を惜しむ気持ちがあってよかろうか。

仮に命を惜しみ体を惜しんだとしても、その後一体何のためにその惜しんだ体、惜しんだ命を捨てるという事を考えるのであろうか。仮に我々が非常に重要な人であり、非常に優れた人物であったとしても、釈尊の教えを勉強するためには惜しむべきではない。まして卑賎の命をどうして惜しむ必要があろう。



              ―西嶋先生の話―

仏教ではよく「悟る」という事を言うわけです。悟ると言う言葉の意味は仏教の真実がわかるという事になる訳です。この悟ると言う問題に関連して、仏教というのは、心で悟るのか、体で悟るのかと言う問題もある訳であります。元来仏教は体と心とが一つのものだと言う考え方が基本にあって、その考え方を「物心一如」と言う。理論的に言うならば、仏教は体でも悟るし心でも悟るんだ、体で悟る事が心で悟る事だし、心で悟る事が体で悟る事だとそういう事になる訳であります。

ただ坐禅をやっての実感から言うと、体で悟ると言う感じの方が強いと言う問題がある訳であります。ですから道元禅師も「正法眼蔵」の中でよく体で悟るんだ、とこう言う事を言っておられるわけです。そこで体で悟ると言うのはどう言う事かと言うと、坐禅を表現する言葉として「正身端坐」という言葉を道元禅師が使っています。

正身端坐とは、体を正しくしてきちんと坐るという事です。だから坐禅というは体を正しくしてきちんと坐る事。そして体を正しくした時は、自分の体全体が正しくなった時、それが坐禅であり悟りだと、そういう考え方をされているわけであります。毎日自分の体を正しくしているという事は、自分の体を毎日健康に保っているという事。またそういう生活を毎日続けていくならば、人間の体は無限に健康の方向に向かって進んでいくと、そう言う問題がある訳であります。
 
坐禅の時は腰骨を真っ直ぐ伸ばしている事が、かなり大事な問題になるわけであります。腰骨と言うのは人間の体の重心。だから腰骨が正しくなっているという事は、背骨も正しくなっているし、首の骨も正しくなっているし、体が左右に傾いていないという事にも繋がる訳であります。腰骨の状態を正しく保つ事が体全体が健康になるという事と関係ある訳であります。そして自分が健康であるという事と、仏道がわかるという事とは同じ事。
 
                             つづく--


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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