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正法眼蔵 行持(下) 8

「石門林間録」の中に出て来る達磨大師の話に関連して道元禅師の注釈は続きます。

俗世間において受けた恩でさえ、人々はそれを忘れる事なく大切にする人は多い。そしてその様な人を人間と呼ぶのである。達磨大師がインドから中国に坐禅をもたらされた大きな恩と言うものは、父や母の恩よりも優れている。また達磨大師の慈愛というものは、親子の間の情愛と比較にならない程の深さを持っているであろう。

我々は非常に卑しい分際であるけれども、その卑しい分際であるという事を考えるならば、その達磨大師の大恩によって現在、坐禅をやる機会を与えられたという事は、非常に驚異的な事柄でありたいへん恐れ多い事である。我々は日本の国に生まれて育っているのであるから、中国と言う国さえ見たことがないし、中国文化の中で生まれ育ったという事もない。聖人をしらず、賢人に出会った事もない。人間の気持ちもひたすら愚かである。

※西嶋先生注解説     
この記述は日本の国の事を直接述べられているわけで、今日の我々が聞くとやや卑下し過ぎているのではないかと、こう言う感じを受ける訳であります。今日では日本が世界で2番とか3番とかという経済大国という事で、確かに日本の国の実力は鎌倉時代に比べるとはるかに進んでいるわけでありますが、鎌倉時代にはインドとか中国が非常に文化の優れた国であって、それに比較すると日本の文化の程度はまだまだであったというところから、ここのところでは道元禅師が日本について、このような記述しておられるわけです。

本文に戻ります。
日本開闢以来今日までに、俗世間の人々を強化することのできた人はいない。また国政が正しく行われて、国が平穏に治まった時代があったとも聞いていない。要するに、日本の国は何が一体清い状態なのか、何が一体濁っている状態なのかというけじめさえ分からずにいる。文武両道とか・天・地・人とかという基本的な問題について理解が十分でないから、この様な結果が生まれて来るのである。



              ―西嶋先生の話―

我々が仏教を勉強する事と、一般の社会生活とがどう言う関係にあるかと言う問題を考えて見たいと思います。なぜこういう問題を取り上げるかといいますと「正法眼蔵」では、仏教を勉強するためには名誉や利得というものから離れなければならないとそういう教えがある訳であります。

ただ、我々が日常生活を送っている場合に、名誉を得たという事は非常に楽しい事、それからまたお金が儲かるという事も非常に楽しい事であります。我々の日常生活の中で名誉を得た時に自分が幸福だと感じる。またお金儲けが出来た時に幸福と感じると言う問題がある訳であります。そうすると、そういう我々の日常生活における重要な部分であるところの名誉や利得を離れて人間が果たして幸福であり得るかどうかと、こういう疑問が出て来るわけであります。

そういう問題について、仏教でどういうふうに考えているかという事を考えてみたいと思うわけであります。一般的に言いまして我々の社会生活が名誉と利得を中心にして行われていると言う事、これは疑問の余地のないところではないかと思います。我々の社会生活の一つの価値の基準として名誉と言うものがあるという事は疑問の余地がないと思います。つまり我々が日常生活をやっていく上において、人から誉められたい、人から尊敬されたい、沢山の人を支配して使ってみたい、そういうふうな基準があることは疑問の余地がないわけであります。
  
それから、我々の社会生活を支配しているもう一つの価値の基準として利得というものがある。我々の社会生活においてはお金と言う非常に結構なものがある。お金と言うものは、たくさん貯まっても決して邪魔にはならない。お金があると自分の欲しいものがかなりの程度までは手に入るという事がありますから、お金は我々の社会生活においては非常に大事な部分を占めていると、こういう事が言えるわけであります。
                                つづく--
  

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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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