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正法眼蔵 行持(下) 6

覚範慧洪禅師が作られた「石門林間録」には、中国の仏教僧についての様々な伝記や逸話が記されている。

「石門林間録」の達磨大師についての記述によれば、達磨大師は最初に行ったのが梁の国で、それから魏の国に行って、嵩山の麓を通過し少林寺に逗留した。少林寺では壁に向かい坐禅を一心にしているだけであった。達磨大師は坐禅をやる事によって、坐禅をやる事以外の目的(悟り)を追求していたわけではない。

しかし長い期間にわたり達磨大師が一体どういう生活をしていたのか、その本当の意味を人々は理解することができなかった。そこで達磨大師の事を、坐禅をやって悟りを開こうといている人々の列に入れた。つまり人々は、坐禅と言う修行法はいろいろな修行法の中の一つに過ぎないと考えた。どうしてその様な修行法の一つで、達磨大師と言う優れた聖者の全てを尽くす事が出来よう。

この様な事実を基礎にして歴史を書いた人が自然の成り行きとして、達磨大師を坐禅をやる事以外の目的(悟り)を追求する人々の列に記載した。また枯れた木や生命の失われた灰の様になる事が仏道の狙いだと考えている人々もあり、達磨大師は決して仏道をその様に考えていなかったけれども、同じ仲間に入れられてしまった。

しかしながら達磨大師のような優れた人は、決して坐禅と言う修行法だけに限定された世界に生きているわけではない。しかしそうかと言って、たとえ一日と言えども坐禅を怠るような生き方でもない。それはちょうど易学と言う学問が、一度は陰陽を超越してしまうが、やはり陰陽とは切っても切れない縁につながれている様なものである。

――梁の武帝が、達磨大師に初めて出あった時に早速質問した。――
 
武帝問う
釈尊の説かれた教えの究極のものは、一体どういうものでありましょうか。

達磨大師言う
釈尊の説かれた教えの究極とは、現に我々が生きているこの現実の社会そのもの。それは言ってみるならば、明々白々としていて神秘的なものはない世界だ。

武帝言う
自分の目の前にいるお前さんは一体何者だ。

達磨大師言う
そんな事は拙僧にもわからない。

もし達磨大師が中国の言葉に精通していなかったとするならば、この様に梁の武帝と問答して、様々な仏教問題について意見を述べると言う事がどうして出来たであろう。



              ―西嶋先生の話―

人間は神秘的な事が案外好きで、いろんな事を考え出してもっともらしく説明する。新聞などにも、そう言う特別の事が書いてないと面白くない。我々の日常生活と同じ事が新聞に書いてあったらサッパリ面白くない。「ご飯を食べました、トイレに行きました、会社に行きました」等そういう事が書いてあると新聞は面白くない。

新聞に書いてあるのは人が読むとビックリする様な事が書いてある。だから神秘的な事も色々と書かないと新聞の面白さが出てこない。また突飛な人の事を書かないと新聞の面白さは出てこない。特殊な事件、滅多にない事しか新聞は書かない。そういうふうな事があるけれども、人生は明々白々として神秘的な何物もないと言うのが我々の住んでいる世界。そういう実態に触れるためにやるのが坐禅。

だから坐禅をやっていると、特別の事がみんな無くなってしまう。ごく当たり前の、ごく普通の人間になってしまう。ごく当たり前の普通の人間になると、我々がどんな世界に住んでいて、世の中の仕組みがどうなっていて、どういうふうに生きていけば、世の中の仕組みと同じ流れに沿えるか、とこういう事になる。

同じ流れに沿って生きると、苦労しないでいい結果が得られる。ところが大きな波に逆らって、苦心惨憺して「俺がこんなに頑張っているのに、何故うまくいかないんだろう」と思って悩みに悩んでも結果は決してよくならない。この現実の世界が見えてくると、現実の世界をどう生きるかと言う事が非常にハッキリとして来る、そういう問題がある訳であります。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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