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正法眼蔵 行持(下) 1

中国における第1代目の仏教教団の指導者である達磨大師がインドから中国に渡られたことは、師匠である般若多羅尊者のご指示によるものである。

達磨大師は東南アジアの海を経て三年を要し中国に渡られた。その航海における年月は自然の脅威が耐え難いばかりでなく、まだ航海の方法も発展しておらずいつ船が沈むかもしれないと言う不安定な状態であるから、その長い行程における危険というものは大変なものであったであろう。ましてや全く未知の国で仏道を広めるのであるから、自分の体が大切、自分の命が大切と常々考えている凡庸な人々にとっては思いも及ばないところである。

しかし達磨大師がこの事を敢えてなされたのは、ただただ釈尊の説かれた教えを伝えたい、迷った人々を救いたいという大きな慈悲心から生まれた行いによって初めてあり得たことであって、それ以外の事情でとうてい起こり得るようなことではない。

達磨大師は釈尊の教えをしっかりと身につけた自分自身であればこそ、中国に行ってそれを伝えようという気を起こされたのであろうし、すべての世界が法に満たされた世界であったればこそ、まだ仏道の伝わっていない国に仏道を伝えようという気持ちで中国に渡られたのであろう。

また、宇宙のあらゆる方角(東西南北)が全て、釈尊の説かれた真実そのものの世界であるから、まだその釈尊の教えが思想として具体的に人々に把えられていない地方に行って、釈尊の教えを伝えそれぞれの国における真実をはっきりさせる事を考えられて中国に渡られたものであろうし、宇宙そのものが達磨大師そのものとまったく別のものではないという境地に立っておられたから、中国に渡られたのであろう。

我々の住んでいる宇宙というものはありのままの世界であって、あれこれと解釈を必要とする世界ではないから、達磨大師は現実の世界に生きておられたればこそ、中国に行って釈尊の教えを伝えようと言う気持ちを起こされたのものであろう。


 
              ―西嶋先生の話―
    --つづき
                            
文明がだんだん進んできますと、人間というのはだいたい凡夫の生き方になる訳です。文明はものを考えるという事が基礎に待っておりますから、思考と感覚の二つの世界を行ったり来たりする。釈尊はこういう二つの世界を行ったり来たりしている人々を見て、気の毒に思った。何とかその状態から人間を救い出そうという事で、我々に勧められたのが坐禅。こう言う事がいえようかと思うわけであります。
  
だからそう言う点では、凡夫とは坐禅をやらない人。仏と言うのは坐禅をする人。そういう事が凡夫と言う言葉と仏と言う言葉との中身の違いだと、そういう事も我田引水の立場から言えるという事があるわけであります。私が言うと我田引水に聞こえる訳でありますが、いま申し上げた事は全く事実、我々の生活における疑問の余地のない事実だと言う事が言えるわけであります。
  
自分に中心を持ってゆっくり落ち着いた生活をするか、あるいは自分の中心を持たないで、あっちこっちと一所懸命に駆けずり回って、苦労していい結果が出るかよくわからんと言う形で一生を終わるかと言う違いでしかない。釈尊は自分をしっかり把握して自分として好ましい一生を送ると言う事は誰にでもできると言われた。苦労に苦労を重ねて、結果がいいか悪いかよくわからないうちに一生が終わってしまうと言う事を避けるために釈尊は仏教と言う教えを残された。そう言う事がいえ様かと思う訳であります。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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