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正法眼蔵 行持(上) 47

過去における真実を得られた方々が言って来た言葉について道元禅師の注釈は続きます。

人間の体というものは、単なる物質の塊であって脱殻に類するものであったとしても、その脱殻自身が尊い意味を持ってくるのである。この様な理由から仮にたった1日しか生きないとしても、真実を得られた沢山の方々が説かれた大切な問題を理解する事が出来たならば、その長さはたった1日であったとしても、長い時間における雑多な一生よりも優れていると理解するのである。

この様なところから考えて来るならば、仏道の真実というものが十分に分って「人生の意味はこれだ」と言う決着がつくまでは1日と言えども無駄に過ごしてはならない。この1日1日と言うものは極めて大切な宝である。1日の価値は、差し渡しが一尺もあるような宝玉の価値とは比較にならない程高い。黒龍(架空の動物)の顎の下にあるとされる非常に価値の高い宝珠よりも、1日の価値の方がはるかに高いのである。過去における賢い優れた人々は、自分の体や命を惜しむよりもさらに激しい気持ちで1日の時間の経つ事を惜しんだ。

静かに考えてみるべきである。黒龍の顎の下にある宝珠は、それを探し求めるならば決して手に入らない事はないであろう。また差し渡しが一尺もあるような宝玉も金さえ積めば手に入るかもしれない。しかし仮に100年生きたとしても、そのうちのたった一日と言えども、一度通り過ぎてしまったならば、もう一度それを繰り返すという事は絶対に出来ないであろう。



              ―西嶋先生の話―

仏と言うのは仏道の説いているところの真実と一体になった人。仏以上の人と言うのは自分が真実を得たと言う事も忘れてしまった人。それは日常生活に徹してコツコツと生きている人と言う意味です。また自分が偉いと言う事も忘れてしまった人と言う意味です。こう言う話は非常に浮世離れした話で、日常生活あるいは社会生活にはおそらく関係あるまいと普通は考えられているけれども、我々の社会生活というのはみんな宇宙の中での出来事。だからその原則と言うのはそう違わない。

人が寄り集まっていろんなグル-プをつくって、そのグル-プの中ではいろんな仕来りがありいろんな規則があるけれども、その外側には必ずそれより広い世界がある。一番広い世界と言えば宇宙と言うもの。宇宙の原則によって一切のものが支配されているわけです。だから究極のものを把んでから日常生活を見直すならば、日常生活の実態というものが非常によく見えてくると言う面があるわけです。

ところが狭い範囲の考え方だけで一所懸命にやっていると、傍の状況と言うものがよくわからない。広い世間から見ると案外大した事ではないものを、非常に大切に考えて無我夢中でやっている社会の様子というのはどこにでも沢山あるわけです。だからそういう点では狭い世界で一所懸命になる事も大切かもしれないが、時には大きな立場から実態がどうなっているかと言う事を見る必要があるわけです。
                       つづく--


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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