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正法眼蔵 行持(上) 38

寺院の守護神が語ったことに関連して道元禅師の注釈は続きます。

仏道修行をしようと決心して仏道修行(坐禅)を始めるようになったという事は、三界を超越してしまう事である。   

※西嶋先生解説
「三界」という言葉は日常生活の中にもわりあい残っているわけです。特に江戸時代には「三界」という言葉が使われた。いろはがるたの中に「子は三界の首っかせ」があるわけですが、ここに出てくる「三界」とまったく同じであります。三界とは欲界・色界・無色界という三つの世界を言う。

まず欲界とは頭の中でいろんなことを考えて、その考えたことを実現したいと一所懸命望む世界。つまり頭の中で考えた世界という事も出来ます。色界とは眼で見えるもの、耳に聞こえるもの、手で触れるもの、つまり感覚を通してつかむことのできるもの。別の言葉で言えば物質的な世界。無色界とは物質的なものを超越した世界。物質的なものを超越した世界とはどういう世界かというと、一所懸命に生きている世界、一所懸命に働いている世界。

我々が住む世界というのは、だいたいこういう三種類の世界に分けて考えることができるというの仏教的な考え方であります。この三種類でだいたい我々の住んでいる世界を全部総合できると考えられるところから、「三界」というもので我々が生きている世界を表すわけであります。ただこれらの三つの世界はいずれも人間が頭の中で考え出した世界という事も言えるわけであります。つまり頭の中で生み出された世界という理解ができるわけであります。

仏道の世界はどういう世界かというと、こういう頭の中で作り出した世界ではなくて、現実の世界。だから言葉では表現できない世界というのが仏道の世界という事になるわけであります。



              ―西嶋先生の話―

長い期間にわたって名誉や利得から離れなければならない。こういう主張を読んでいくと、どうも仏道はつまらないという実感を持つわけです。我々は名誉も欲しいし金も欲しい。名誉はいらん、金もいらんという事になると、どうも仏道と言うものはつまらない、割があわないと言う感じが出て来るわけであります。しかし、この辺がわりあい本当の事を考えて行く上においては大事な事であります。

ニュ-スで商売に絡んでお金を要求したと言う人の話が出ていました。私はこの話を聞いた時にずいぶんつまらん人だと思った。と言うのは、そういう人の頭の中には金以上のものは何もない。自分自身の価値と言うものを全部忘れてしまっておる。何でも金に換算して取り込もうと言う考え方だがずいぶん寂しいんじゃないかと言う気がした。

ご本人にしてみれば数億円のお金が入るという事は、大変結構な話だと感じてそういう事を言ったんだろうけれども。まあ二億円ぐらいの金をかき集める事が人生の目的であるとするならば、そういう人生は甚だつまらないというふうに感じられる面がある訳であります。そういう点では、金と言うものだけを目標にして生きる人生と言うものは、本当の意味の人間の価値として意味があるかどうか非常に疑問。

金と言うものは汚いという考え方では決してない。ただ金と言うものはあくまでも手段であって、どういうふうに使うかという事に意味がある訳です。只々かき集めて積み上げて喜ぶというんでは、金そのものの意味を十分に知っていないし、使い方を知らないという事でもあるかもしれない。仏道とは、そういう中途半端な値打ちと言うものに引っ張られないという事です。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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