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正法眼蔵 行持(上) 26

大梅山は慶元府にありこの山に護聖寺が創建され、その創始者は法常禅師である。法常禅師は襄陽の出身で、かつて馬祖道一禅師の教団で仏道を学んでいた。

馬祖道一禅師に対して法常禅師問う。
仏というのは一体どういうものでしょか。

馬祖道一禅師答えて言う。
現在のありのままの心がすなわち仏である。

法常禅師はこの馬祖道一禅師の言葉を聞いて、聞いた瞬間に真実というものはどういうものであるかという事を把握した。それから以降は大梅山のてっぺんに登り、人間社会から離れて草庵に一人で住んで松の実を食べ蓮の葉を衣服とした。大梅山には小さな池があってその池には蓮がたくさん生えていた。この様な暮らしの中で坐禅をし仏道を勉強することが30年余りになった。

人に関連した事柄は一切見聞きすることなく、暦の進み具合もほとんど意識することなく、ただ周囲の山々が春には青くなり、秋には黄色に染まり、その青くなったり黄色くなったりする四方の山々を見ながら暮らした。その状況というものを今日から想像しただけでも、きわめて感慨深い歳月である。

法常禅師が坐禅をする際には、高さが八寸位の小さな鉄の搭を一つ頭の上に載せていた。ちょうど宝石で飾られた立派な冠を頭の上に載せているのと似ていた。そしてこの搭を自分に落とすまいと努力する事によって居眠りをすることがなかった。その法常禅師が坐禅の時に使っていた搭がいまでも大梅山の護聖寺に残っていて、その塔が倉庫の中にあるという事も帳面に書きつけてある。法常禅師はこの様な形で坐禅をすることを死ぬまで怠ったり飽きたりする事なしに続けた。



          ―西嶋先生にある人が質問した―  

質問
法常禅師は亡くなるまで山に籠もって世の中と関係なく過ごされたという事は、やっぱり素晴らしい事なんでしょうか。

先生
事実問題としては大梅山に寺を建てられた。そして弟子もできたわけです。自分は山から出なかったけれども、弟子が集って来て寺ができ仏道の教えが伝わった。

質問
なるほど、そうですか。

先生
だから護聖寺を建てたと言われているのは、法常禅師が山奥で生活しているうちに自然に寺ができあがってしまったと、そういう事情だと思います。

質問
そこには建前と実際とあったのですか。

先生
だから弟子ができるとか、出来ないとか、寺が建つとか、建たないとかと言う事はどっちでもいい事であって、法常禅師の立場からするならば、とにかく仏道修行をしているという事だけに意味があったという事になると思います。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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