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正法眼蔵 行持(上) 2

行持の巻、本文に入ります。

仏教界においては昔からたくさんの真実を得られた方々がおられ、真実を得られた方々が主張され実践された偉大な真理には、例外なしに最高の行持(清い行いと戒律の保持)というものがある。その様な真実と言うものが初めと終わりとが繋がって一つの輪になって、それが常に展開されて決してなくなるという事がない。

真実を知りたいと言う気持ちを起こし実際に仏道修行をし、そして真実に到達し、非常に安らかな境涯に達するという仏道修行の過程と言うものも、ほんの少しの中断ということもなしに、清い行いと戒律の保持とが常に繋がって決して終わりになるという事がないのである。

この様な事情であるから、仏教界の諸先輩が行われたところの清い行いと戒律の保持とは、自分がやりたくないのだけれども無理にやったという事ではない。人の目を気にして人がうるさいから自分の行いを正すと言う形で周囲から強制されてやったわけではない。自分個人の意思でもない、客観的な事情によって強制されたわけでもなしに、ただそれが正しい行いであり戒律の保持であるという事だけの理由で、清い行いをし戒律を保持するという事が自然に行われたのである。

自分自身がどの様にして人間でありえたか、自分自身がなぜ人間として生きえたか、自分自身がなぜ人生を持ちえたかということは、まさに自分自身が清い行いをし戒律を保持したからに他ならない。自分の人生というものはまさに自分自身の清い行い戒律の保持によって保たれたのであるし、またそのような自分自身の行いがあればこそ、自分自身を取りまく客観的な世界、環境というもの、世界というもの、宇宙というものが実際にあり得たのである。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
坐禅をやって何年か経ち「坐禅を三年もやったんだから何とかなりゃしないかなあ」と思って、先生に聞いても周りの家族に聞いてもちっとも何とかなっていないけども、悲しいことが突然起こったら、今までは自分はこのような行動をするだろうという色眼鏡みたいなものをかけていたんですが、今は自分が思っていたことと全然違った対応の仕方をする。それがあるいは坐禅の効果かもしれない、そういうように私は体験していますがどうでしょうか。

先生
うん、それはその通りですよ。坐禅をすると自律神経がバランスするから、一切のものをありのままに受取る様になるんですよ。ところが自律神経がバランスしていないと、オ-バ-に受け取ったり過少に受け取ったりするわけです。オ-バ-に受け取ったり過少に受け取ったりするところから生まれる判断が、人生を誤らせる場合が多いんです。事実をありのままに受け取る事が出来るようになれば、考え違いをしたり、思い過ごしをしたりという事がなくなることは事実としてあると思います。そのことが坐禅の一つの結果だという事は言えると思います。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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