トップページ | 全エントリー一覧 | RSS購読

正法眼蔵 恁麼 2

雲居道膺禅師の言葉について道元禅師が注釈されます。

ここで雲居禅師が言っておられる言葉の意味は、言葉で表現できない何かというものを得たいと思うならば、まさに言葉では表現できない人そのものになってしまう事である。言葉では表現できない人そのものになってしまったのであるから、どうして言葉で表現できない何かを得られるとか得られないとかと言って心配する必要があろう。この言葉の意味はどういうことかというと、直接に最高の真実に趣くということである。

※西嶋先生解説
直接に最高の真実に趣くというのは坐禅の事を指すわけです。我々は常に理屈の世界に生きておりますから、いろんな点で思い悩む、心配事もいろいろとある。ただそういう心配というふうなものを一切乗り越えて、足を組み、手を組み、背骨を伸ばしてジ-ッとしていると、直接に最高の真実と自分とが一体になってしまう。したがって坐禅という修行を通して真実と一体になってしまった状態の事を、仮に恁麼(言葉では表現出来ない何か)と言うのである。

道元禅師の注釈に戻ります。
この最高の真実と言うものの様子を考えてみると、我々の住んでいる宇宙というものも、最高の真実のごく一部分でしかないという事が言える。最高の真実と言うものは、宇宙よりもさらに大きいという事であろう。そして我々人間も宇宙の中における道具に過ぎない。

何によって言葉では表現出来ない何かがあるということを知るかというと、いわゆる我々の体も心も、いずれもこの宇宙の中に存在するのであるけれども、坐禅をしていると、足を組み、手を組み、背骨を伸ばしている人間が自分であるかどうかわからなくなる。自分というものは頭の中で考えれば、これが自分という判断がつくわけであるけれども、何かをやることに一所懸命になっている場合には、自分というものがどこにいるかわからない。



              ―西嶋先生の話―

総選挙の結果、自民党の大勝という事になったわけでありますが、ちょうど○○総理が亡くなった日の翌日に証券市場の新聞記者が私の所へ遊びに来ての話に、○○総理が亡くなった日の朝、証券会社の意見というのは、○○総理が亡くなったから自民党の勝利間違いなしという事で株式を買ったという話をしておりました。

それを聞いて、ずいぶん早い判断をするもんだなあと思っておりましたら、選挙の結果は予想以上に自民党が大勝したという事であります。そうすると、証券市場の人たちがその日にとった判断というのは、かなり正確だったという事が言えると思います。

証券市場の判断というのは、かなりたくさんの金を得るか得ないかという事と関係があるわけですが、その点では、各人が真剣な判断をすることを長年練習してきておるわけであります。そうすると様々の出来事に対してどういう見方が当たっておるかという事に、かなり命がけの努力を払っておるという事が言えると思います。

ああいうふうな一党の党首が亡くなるというふうな時に、世間で常にその亡くなった党の側の勝利を予想できるかというと、中々そうはいかないと思ます。見方によっては、総大将が亡くなったんだからかなり悲観的だというふうな見方もあったかもしれない。それからまた、同情票が集まるにしても、マイナスの面もあるだろうから、まあトントンか、ちょつといい程度というふうな判断もあったかと思うわけであります。

ただ、当日の証券市場の判断というものは極めて実態にあっておったという事。それは特に甘すぎるという事でもないし、特に辛すぎるという事でもないし、一番現実に近い判断をしたという事になるわけであります。仏道というのは現実に即した判断ができるという事が一つのねらいとしてあると思います。その点では、甘すぎもしない、辛過ぎももしない、最も現実的な判断をするために、我々は坐禅をしておるという事も言えると思います。

そして我々の人生の中で判断の正しさが我々の人生のかなりの部分を決めてしまうという事があるとすると、我々は坐禅というものを通じて常に正しい判断というものを養っておく必要があるという事も言えるわけで、その点正しい判断というものの関連して○○総理の亡くなったこととの関連で、証券市場で行った判断がかなり現実的であったという事、それは多少おもしろい問題として感じましたので、お話しておくわけであります。


ご訪問ありがとうございます。よろしければクリックお願いします。


関連記事
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

最近の記事

最近のコメント

リンク

カテゴリ

フリーエリア

行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

FC2カウンタ-