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正法眼蔵 仏向上事 26

石頭無際大師と道悟禅師との問答について道元禅師の注釈は続きます。

我々の住んでいる世界の実情というものは、人に強制されるからでもない、自分が努力をするわけでもないけれども、各人がそれぞれ独自の存在として自由自在の境涯にいるのである。「大空が白い雲が飛ぶ事の邪魔をしない」と言う言葉によって、表現された実態なり外見なりというものをここでは取り上げておられるのである。

まさにこの様な境地に我々が立った場合には、この様な真実の学び方というものを使って、釈尊の姿をほんの僅かではあるが眺める事が出来るのであるし、また仏教界における沢山の祖師方とお会いする事ができるというのは、まさにこの様に自由自在の境涯に自分自身を置いた、その瞬間においてである。この様な境地にあっては、自分自身というものと出会う事もできるし、自分以外の一切の客観世界をありのままに見るという事も可能になって来る。

この様な境地に立って、一つの質問に対して十の答えが自由自在に出来る境地が開けて来ると言われるのである。今ここで「一つの質問に対して、十の答えが自由自在に出来る」と言う表現を使われているけれども、そうした場合においては、一つの質問をする人もまさに仏教界の真実を掴んだ人であろうし、それに対して十の自由自在の答えができる人も、やはり仏教界における真実を掴んだ人に他ならないであろう。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
先生は恋愛なんてのはロ-レベルのようにおっしゃるけれども、そうじゃいかんと思うんだな、大衆を説得します場合に。例えば先生が沢木老師に傾倒するというのは、一つの恋愛感情じゃありませんか。

先生
それは恋愛感情と別のものだね。

質問
どういうふうに違うんですか。

先生
それはね、男女間の問題というのはやっぱり子供をつくるという事と密接な関係がありますよ。だから私の考えでは、そういう問題を別にして、男女関係というものはあまり意味がないという見方だな。文学作品では非常に意味があるように事細かに説明しているけれども、私はどうもそう思わない。だからそういう点では、子供をつくるという事を基本にして男女間の感情というものはあるんだけれども、仏道を求めるというのは子供をつくることと別ですよ。

だから一方は子供をつくることが基礎にあるし、仏道は子供をつくることが基礎にないという事がどうもあるような気がするなあ。「どこが違うか」と言われれば、どうもそういう点が違うんじゃないかと、そういう感じがする。

質問
子供がほしいと思って恋愛するんでしょうかね。必ずしもそうは思いませんが。先生を含めて仏道家にお伺いしたいのですが、恋愛なんかをどうもお粗末に扱っている様な気がするんですが・・・。ですから大衆は離れて行くんですよ、おそらく。

                      つづく--


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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