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正法眼蔵 仏向上事 18

洞山悟本大師と雲居道膺禅師の問答について道元禅師の注釈は続きます。

人々から雲居道膺禅師と言う名前で呼ばれ、普通の生活をして来たという事が当然あると同時に、さらに一歩進んで一段と本質的な問題に立ち返った立場において考えるならば、道膺と言う名前は問題ではないと言う立場もある事を学ぶべきである。この様に雲居道膺禅師自身が、さらに一段と本質的な境地に立つならば、自分が道膺と言う名前で呼ばれている事は問題ではありません、と言う基本的な考え方が現実に確立されて以来、初めて雲居道膺禅師は真の雲居道膺禅師になり得たのである。

しかしながら、この問題に関連して、単に言葉の上だけで問題を取り扱って、一段と向上した境地においても、やはり雲居道膺禅師と呼ばれる人はいるという理屈をこねるべきではない。たとへ「一段と進んだ境地において、さらにお前の名前を言ってみろ」と言う質問に対して、「一段と進んだ境地においても、やはり道膺は道膺でございます」と仮に返事をしたとしても、この返事の実態、内容は、常識的な世界で「自分の名前は道膺です」と返事をした事とは異なり、一段と本質的な問題に触れた意味で「自分の名前は道膺です」と言うふうに返事をした事に他ならないであろう。

なぜその様に言うかと言うと、頭の中で考えられた世界を乗り越えて、現実の実態として雲居道膺禅師自身を考えて見るならば、現実の雲居道膺禅師がそこにいるに過ぎない。その事は言葉で表現するならば、現にいる雲居道膺禅師の姿の中に、さらにもう一人の雲居道膺禅師が、頭の中から呼びこんで二人に分かれた雲居道膺禅師が一つのものになったという事に他ならない。



              ―西嶋先生の話―

仏教を勉強していると、自分の商売との関係をどう考えたらいいかと言う事が問題になるわけです。仏道というのは、我々が生きている現実の生活をよくにらんで、その中でその現実の生活の中にある秩序に従って生きると言う事です。あの世界、この世界とけじめをつける生き方ではなく「何のたれ兵衛」と言う個人の生活は、どの世界にいてもたった一つしかない。その人が家庭にいようと、仕事場にいようと、学校にいようと、どこにいてもその人にはそれなりの一つの生き方がある訳です。それを貫くと言うのが仏道です。

よそ行きの生活と自分の家の中の生活とはあまり分けないと言う事、それが仏道と言う事の一つのあり方でもある訳です。「どう生きていくか」と言う事を考える場合に、家庭の中の生活と人が見ている場所での生活とは別々だと言う考え方がかなり強い。だから、人に見えるところでは大いに立派な行動をするけれども、人の見ていないところでは、こっそり適当にやると言う考え方が世間一般には非常に多い。それがまた、当然の事とされている訳です。

ただ仏道というのは、そういう生き方ではなしに、人が見ていようと人が見ていまいと全然そんな事は関係ないと言う生き方を目標にする訳です。商売との関係でも、商売と自分の個人生活は別々だと言う事で色分けして生活をする事ではない。商売の時は商売に一所懸命、家庭に入ったら家庭の生活に一所懸命、どこでも一所懸命というのが仏道生活と言う事になろうかと思います。「いやそんな事言っていたら、とても世の中渡っていけない」「人の見ていないところでは、時々ずるい事をやらなければ生きていけない」と言う考え方もあるかもしれないが、反面から見ると我々の生活はそうのんきなものではない。

手を抜けば手を抜いただけの結果が必ず出てくる。そうすると、人が見ていようと見ていまいと一所懸命やる事に尽きると言う事になろうと思います。そういう点では、商売であろうと個人の生活であろうと一所懸命やる事に尽きると言う事にならざるを得ない。「朝から晩までそんなに一所懸命やっていたら、とても命が続かないのではないか」と言う考え方もあるけれども、幸いな事に動物と同じ様に人間も24時間のうち三分の一は仕事をしないでグ-グ-寝ている訳です。

我々は寝ている時間は頭が働いていないから、そういう時間が我々にあると言う事にあまり気が付かない。しかし、6、7時間は誰でも寝ているわけで、その間は十分休めるわけだから、眼の開いているうちは一所懸命働いても決しておかしくないし体を壊すと言う事もない。「ストレス理論」というのが今盛んに言われています。人間はあまり緊張しているとストレスがたまって病気になると言う様な理論です。  寝るべき時間に寝れないと言うのは問題。寝るべき時間によく寝ていればストレスなどたまる心配はない。

反面、寝るべき時間になぜ寝られないかと言うと、眼の覚めている時に覚めている状態に合わせた生活をしているかどうかと言う事に問題がある。睡眠を24時間のうち三分の一ぐらいとっていればストレスなんていうのはすぐ解消する。そういう点では、我々の生活と言うものは、そう心配する事はない。「眼の開いているうちは一生懸命働くと言う事で、一番健康な生活ができると考えて間違いない」と、そう言うふうに考えられるわけです。

※私の独り言

今は夫婦二人でやっている小さな店です。今年で開店40年。週に一回の休み。営業時間9時から7時まで、夜は布団に入ればすぐ「グ-グ-」。、40年前とほぼ変わらず営業しています。おかげさまで67歳の今も元気に生活してます。「仕事、仕事で何処にも出かけなければ井の中の蛙になってしまうよ」と言われる事もあります。心配してくれてありがとう。

※追伸
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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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