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正法眼蔵 仏向上事 11

洞山悟本大師と僧との問答について道元禅師が注釈されます。

真実を得られた後も、さらに真実を求めて一生懸命に生きておられた方々は沢山いたけれども、洞山悟本大師こそは真実を得られた方々の中でもさらに優れた境地に達した人である。なぜそのように言うかというと、洞山悟本大師以外の真実を得られた方々は、真実を得た後も、さらに真実と一体になって努力していく日常生活があるという事を、夢にさえ承知しておられる方がいない。

徳山禅師や臨済禅師という仏教界で優れていたと言われている先輩方に、この仏向上の事を述べてみたとしても、本当に自分の体験として確かにわかったというところまではいかないであろう。巌頭禅師や雪峰禅師もこの仏向上事というものを承知したい、理解したいということで身を粉にして努力をされたとしても、なるほど分かったと言うところまでは中々いかないであろう。

洞山悟本大師が言われた「真実を得た後もなお真実と一体になって日常生活生活を送っていく事を体験により知った場合に、初めて多少は話をするだけの価値がある」とか「真実を得た後もさらに日常生活を通じて、真実と一体になって生きていく状態があると言う事を知らなければならない」と言う主張を、ただ単に一、二、三、四、五などという数字によって表現された具体的な年限において理解しようとするならば、たとえ無限の時間にわたって修行し体験してみても、それだけでは究極のものを体得することはできない。



              ―西嶋先生の話―
    --つづき

ただその違いというものはわずかなものでありますから、やってもやらなくてもあまり違いが自分自身ではわからない。やらなくてもやってもそうたいしたことないんであれば、「ま、今日はやめておこう」という事にならざるを得なかったわけです。そして、「やってもやらなくても同じような坐禅であれば、自分の坐禅はやり方が悪いのではないか。そうするとやっぱりお寺にでも行って一所懸命根を詰めてやらないと効果がないのではないか」と、そういう考え方を持っていたわけです。

たまたま坐禅を毎日やるようになって3か月なり半年なり経ちますと、自分自身の生活が変わっているという事に気が付いたわけです。その生活の変化そのものの中に仏の状態と仏でない状態との違いがあるという事、これが仏道の基本だというふうにしか考えられないわけです。ですからその点では、私が皆さんに毎日坐禅をよるようにという事を申し上げるのは、ある意味では非常に厳しい教えだという事が言えると思います。

この「会」でも、私は難しい顔をしてちょっと足の組み方が違っても、叱り飛ばしたり、叩いたりという事をしませんから「西嶋の教え方は少し気が抜けてる、中途半端で甘い」と、こういう風な感じでまあ私も感じておりますし皆さんも感じておられるんじゃないかと思いますが、毎日坐禅をやるという教えは非常に厳しい教えだなという事を最近感ずるわけです。ですから皆さんもご自分でおやりになってみて、2、3日は続いてみても、フッとした拍子にやらない日がある。

やらなくてもやった日とあんまり大して変わりがない。すると「これじゃ、まあ毎日やる必要もなかろう」と、こういう実情がかなり多いのではないか。その点では、現在毎日やることができていないという事は、決して悲観する必要はない。ただそれと同時に、「死ぬまでには何とか毎日やれるようになりましょう」という希望を絶対に捨ててはいけない。この希望を捨てると、仏道から離れてしまって、仏道にもう一度戻るという事があり得ない。
                             つづく--


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コメント
610:はじめまして by hajime on 2017/05/30 at 23:36:44

ツイッターフォローありがとうございます。
正法眼蔵についてのブログとても興味深く、わたくしのブログにリンクを貼りたく思いますが、よろしいでしょうか。

611:Re: はじめまして by 幽村芳春 on 2017/05/31 at 16:17:26

コメントありがとうございます。
ブログもツイッターも使い方もよくわからず始めてしまいました。
このブログ「正法眼蔵=坐禅」を読んでいただき、一人でも多くの方が坐禅を始めてくれればいいなという思いからです。
どうぞリンクを貼ってください。これからもよろしくお願いします。

612:ありがとうございます by hajime on 2017/05/31 at 21:54:16

こちらこそよろしくお願いします。
一人でも多くの方が坐禅を始めてくれればいいという思い、素敵です。
こうやって行動に移されるのは素晴らしいことですね!

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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