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正法眼蔵 仏向上事 2

「仏向上事」の巻、本文に入ります。

中国の筠州という地方におられた高祖洞山悟本大師(洞山良价禅師)は、潭州という地方におられた雲厳曇晟禅師の直接の正当な後継者である。釈尊以来三十八代の祖師方がいずれも真実を体得してその事をひけらかす事なく日常生活を淡々と送られた。洞山悟本大師はその三十八代目に当たる。また洞山悟本大師から代々の祖師方を数えて三十八代を数えると釈尊の代に到達する。

ある時、洞山悟本大師が説示されて言う。
真実を得た後も、なおかつ日々淡々と生きていくという状態が体験としてわかった人に対しては、多少は話をしてみる価値がある。

そこで僧問う。
話になると言っておられますが、その話になる、話とは一体どういうことでしょうか。

洞山悟本大師言う。
話というのは普通の話で、話している時には自分が話しているのであるから人の話は耳に入らん、そういう状態の事でしかない。

また僧問う。
普通の人は話をしている時には人の話が聞こえないかもしれませんが、和尚の様にすでに真実と一体になった方にとっては、話をしながら人の話も聞けると言う事があるんでしょうか、どうでしょうか。

洞山悟本大師言う。
わしの場合でも、自分が話している時は人の話が聞こえないけれども、自分が話をやめた時にやっと人の話が聞こえるようになる。

※西嶋先生解説     
これはきわめて普通な事。これが「仏向上ノ事」だと言われた。ごく普通の話に関連して、自分が話している時には人の話は聞こえない。自分が話すのを止めたらば人の話が聞こえてくる。そういうことを言われたわけであります。


 
          ―西嶋先生にある人が質問した― 
    --つづき   

質問
ちっちゃいところでとらわれてゴチャゴチァやらないで、全体を見るという事で捉えていけばいいという事ですね。

先生
そういう事です。だから坐禅は何のためにやるかと言えば、頭の中でゴチャゴチァ考えないことですよ。坐禅の様な修行法がないと、考えまいとしても考えるんですよ。朝から晩まで考えている。もっと勉強好きな人は寝ても考えている。寝ても考えていると、「どうも昨夜はよく眠れなかった」ということになって、翌日の調子が悪いという事になるわけだけれども、人間の頭はクルクルと動き回って止まらんものなんです。

なぜ足を組み、手を組み、背骨を伸ばしてジ-ッとしておるかというと、体の姿を変えると脳細胞の動きが変わるんです。仏道の一つの中心はこの問題にあるわけです。なぜ足を組み、手を組み、背骨を伸ばしてジ-ッとしておるかと言うならば、体をそういう状態に変えると頭の動きが変わるんです。クルクルと今までまわっていた頭の動きが止まるわけ。それが坐禅の意味だし仏道の世界に入るという事でもある。

そういう境地の中では、論理的な矛盾というものを乗り越えてしまうわけです。頭の中で考えれば矛盾しているという事なんだけれども、足を組み、手を組み、背骨を伸ばしてジ-ッとしておると、矛盾している両方が本当だなという事がわかってくる。矛盾している考え方の両方が本当なんだなと捉えることが出来るようになることが、仏道の世界がわかってくるということの一つの現れです。そういう関係にあると思います。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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