トップページ | 全エントリー一覧 | RSS購読

正法眼蔵 仏向上事 1

「仏向上事」の巻、本文に入る前に西嶋先生の話です。

「仏向上ノ事」というのはどういうことかというと、真実というものをつかまえた後も、やはり坐禅はしていかなければならんという事を言っておられるというふうにも理解することができます。

よく仏教の中では、悟りというものを非常に大切にして、悟るまでが修行で、悟ったらもう修行の必要はないという考え方があるわけであります。そうすると悟るまでは夜も寝ないで、あるいはひもじい思いを我慢して一生懸命坐禅をやるけれども、もう悟ったという事になると、後は酒を飲んで毎日のんびりしてても絶対に間違いはおこさんというふうな考え方もあるわけでありますが、仏教というのはそういう単純なものではないというのがこの「仏向上事」という巻の中に説かれている趣旨であります。

また別の言葉で「仏向上ノ事」というのを説明しますと、悟ったか悟らんか傍から見たんではよくわからない状態の方が本当に真実を得た人の様子だ、そういう意味も含んでいるわけであります。

仏教界には色々な方がおられるわけで、ヒョッと見た時点からすでに偉そうに見える人もいる。またご本人も偉そうに見える様にと非常に努力しておられる方もある。そうするとかけておる絡子からして違う。金ピカで何百万、何千万としそうな絡子をかけて(笑)グッと胸を張って姿勢正しく出てくるわけで(笑)、そうすると「あ、この方は偉いな」というふうに思う人もあるかも知らんけれども、「はてな」という感じもある。

そういう点ではこの「仏向上事」という巻では、偉く見えるのは偉くない証拠だというふうな主張でもあるわけであります。真実を得た状態というのは、決して偉く見えるものではない。偉いか偉くないかさっぱりわからんような状態でただコツコツと日常生活をやっておられるような方が「仏向上ノ事」という状態に他ならないと言っておられるわけであります。

ですからその点では、常識的に偉く見えるというふうなこととは別な考え方であります。そのことが仏教思想の中でかなり大切だと、そういう事がこの「仏向上事」の巻の中では述べられておるわけであります。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
「正法眼蔵」の中で、ある時はこういう事を言い、ある時は違った事を言っていながら、全体としては何か一つの流れを感じるんですが、矛盾した言葉の使い方というのはどういう・・・。

先生
うん、「正法眼蔵」には矛盾した言葉が常に出てきます。なぜ矛盾した形で「法」が説かれているかというと、法そのもの現実そのものがそういう矛盾した要素を含んでいるんです。頭の中で考えるとそういう矛盾は許さないわけですから、頭の中で考えた理論からするならばおかしいという事になるわけです。ただ現実そのものは矛盾しているもの。

それはどういう事かと言いますと、たとえば風邪をひいた場合に、ある場合には体を温かくして静かに寝ているのが一番という場合もある。そうかといってある場合には、「ま、風邪ぐらいにまけちゃいけない」と思って頑張る場合もある。現実の生活としてはどっちもあるわけです。だから、普通の頭の中で考えるならば、「養生しなきゃだめだ」という事で、「寝ているに限る」という説もあると同時に「風邪なんかに負けちゃいけないから頑張らなきゃだめだ」という説もあって、現実の生活としては両方が正しいんですよ。

だからある場合には体を大事にし、ある場合には元気をつけて日常生活に励むというふうな両方の生き方があるわけです。どっちも正しい、現実の中では。だから現実の世界は常に矛盾した要素を持っているわけです。そのことが仏道の世界を意味するわけです。だから、仏道の世界が頭の中で考えられた世界と違うというのはそこになるわけです。「正法眼蔵」は繰り返し繰り返しその仏道の世界を説いておられるから、前に言われたこ事と後に言われた事とが頻繁に矛盾するわけです。

そういう矛盾する文章をずうっと何回も何回も読んでいくことによって、現実そのものがどんなものかという事を勉強していくわけです。現実そのものは矛盾した二つの原則を常にからませながら動いていくわけですから、そういうふうな捉え方が仏道だと言っていいと思います。だから「正法眼蔵」の中には、頻繁に矛盾した文章が出てきます。その矛盾している文章の両方を読み取る事によって、仏道の世界というものがわかってくると、こういう面があります。
                             
                            つづく--


ご訪問ありがとうございます。よろしければクリックお願いします。


    
関連記事
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント
608:フリーエリア by せっせせっせ on 2017/05/20 at 22:38:12

フリーエリアの説明がわかりやすくて良いです。
仏向上人であり続けるべく、ひたすら仏教上ノ事の実践に励みたいです。

609:Re: フリーエリア by 幽村芳春 on 2017/05/21 at 15:53:45

せっせせっせさん、コメントありがとうございます。 
「仏向上事」の巻が始まりました。
道元禅師が諸先輩の言葉を引用しながら「仏向上事」について説かれます。

私は西嶋先生にお聞きしたことがあります。
「正法眼蔵について、ある有名な僧侶が話していたのですがさっぱりわかりませんでした」と。
「それは話している本人がよくわかっていないんだよ」と、先生が言われました。
たぶんその方は坐禅をしていないでしょうね。坐禅さえしていれば仏向上事なんでしょうがね。
これからも一緒に勉強していきましょう。

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

最近の記事

最近のコメント

リンク

フリーエリア

仏向上事の巻に入りました。 仏(真実を得た人)とは、真実を得た後もさらにその事を意識せず日々向上の努力を続けている生きた人間の事である。そしてこのように真実を得た後も日々向上に努力して行く人のことを仏向上人と言い、その様な努力の事態を仏向上ノ事と言う。道元禅師が諸先輩の言葉を引用しながら説かれます。

カテゴリ

FC2カウンタ-