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正法眼蔵 坐禅箴 49

自分(道元禅師)がつくった「坐禅箴」は次なようなものである。

坐禅に関する戒めとして、仏教界において真実を得られた過去の先輩方や指導者の方々が大切にされていたところのものは、頭の中で考えない状態の中に姿を現わしており、何の複雑さと言うものもなしにすでに目の前にでき上がっている。

西嶋先生解説
これは坐禅の事をそのまま言われたわけで、坐禅というのは、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして坐っていることが坐禅であります。だからそういう状態そのものが尊いのであって、頭の中でどういうことを考えているというふうな事はあまり関係ない。だから坐禅というものは複雑なものではないわけであります。

坐禅の事を書いた本という事になると、何百ペ-ジもあって、たくさんの字で埋まっておるわけでありますが、坐禅というのはそういう説明は要らないものである。足を組み、手を組み、背骨を伸ばした時にすぐそこにでき上がってしまう。なんの複雑さもなしにすぐ目の前に現れてしまう。

道元禅師のつくった「坐禅箴」に戻ります。
頭の中で色々と考えるという事とは全く無関係に、すぐに現れて来るものであるから、その現れて出て来たものというのは、自然に我々に直接密着したものである。何の複雑さもなしにすぐでき上がってしまうものであるから、そのでき上がった内容というものは、
自分自身の体験として、言葉でどう説明するというふうな必要もないほど直接的なものである。

だから間接的なものを取り扱う時は、それがいいとか悪いとか、愉快だとか不愉快だとか、様々な批評で考える事ができるけれども、そう言う事を乗り越えてただ坐禅があるに過ぎず、いい悪いと言う分別、あるいは汚れというふうなものを全く寄せ付けないところのものである。



              ―西嶋先生の話―

仏教を勉強するのはどういう事かというと、この世の中には正しさがあるという事を勉強するとみても差し支えがないわけです。仏教では「法」を重要視いたしまして「法を勉強する」といいますが、「法」とは別の言葉で言えば、「正しさ」と捉えても一向に差し支えないわけです。我々の勉強している「正法眼蔵」の「正法」という言葉もやはり「正しさ」という事で、この世の中には正しさがあるという事を感じとるという事が仏道修行だと、こういう事にもなろうかと思うわけです。

もっともこの世の中の正しさというものにも種類がありまして、一つの基準として世間でよく考えがちなものは、人間の頭の中で正しいと考えたことが正しさだと、こういう捉え方があるわけです。ですからそういう基準からしますと、正しさというものが各人各様になってしまう。そうすると、「私はこれが正しいと思う」そうすると別の人は、「いや、それは間違いだ、俺の考え方が正しい」という事で、頭の中で考えられた正しさというものはかなり当てにならないもんだという事が言えるわけです。

だから各人は、「自分の考えていることは決して間違いがないんだ」という確信をそれぞれ持っておりますから、正しさという問題が非常に複雑になりがちだという問題があるわけです。それからもう一つの基準は、力が正しさだ、力ずくで戦って勝った方が正しいんだ、という考え方もあるわけです。確かに世界の歴史を眺めていきますと、競争をして勝った方に正しさがあるという事は大局的には言えると思います。ただそれと同時に、普通の社会の中で常に正しいかというと、それは決してそうは言えない。

仏教ではどういう正しさを基準にするかといいますと、自分自身の足を組んで、手を組んで、背筋を伸ばして、その時に感じ取れるものがこの世の中の正しさだと、こういう考え方をするわけです。そういう正しさを基準にして個人生活を規律し、また社会生活を規律していくというのが釈尊の教えである仏道だと、そういう事が言えようかと思うわけです。ですから、我々が気が付かないうちに、社会のあちこちで少しずつ「正しさ」という基準をもう一度取り戻そうという考え方が生まれてきつつあるのではないかと、そういうふうに感ずるわけです。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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仏向上事の巻に入りました。 仏(真実を得た人)とは、真実を得た後もさらにその事を意識せず日々向上の努力を続けている生きた人間の事である。そしてこのように真実を得た後も日々向上に努力して行く人のことを仏向上人と言い、その様な努力の事態を仏向上ノ事と言う。道元禅師が諸先輩の言葉を引用しながら説かれます。

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