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正法眼蔵 坐禅箴 14

南嶽懐譲禅師と馬祖道一禅師との問答について道元禅師の注釈は続きます。

古鏡も明鏡も一所懸命に磨く事によっていいものが生まれてくる。どんな素質というものも、磨かなければ曇ってしまうし、どのような素質でも、磨けば光を増し、社会に通用し、社会から高く評価される能力に成長していく。その事はまさに磨くと言う動作そのもの、日常生活の努力そのものにある。

※西嶋先生解説
この「正法眼蔵」には古鏡の巻というものがあって、その中には古鏡(永遠の鏡)、それから明鏡(曇っていない鏡)という言葉が出てきます。我々人間が持っている様々の能力というもの、それを古鏡とか明鏡とかという言葉で表現しているわけです。

道元禅師の注釈に戻ります。
この世の中には、様々な才能があり様々の優れた人というものがあるけれども、その様な優れた素質や才能と言うものは、敷瓦を磨く様な努力から生まれて来たものだと言う事情がわからないならば、釈尊が説かれた言葉の意味をわからない事になるし、釈尊と同じ様に口を開いて釈尊と同じ様な言葉を言ったという事にならないし、釈尊が呼吸されたと同じ様に自分自身も呼吸をして釈尊の境地と同じ境地に生きるという事にはならないのである。

※西嶋先生解説  
ここで南嶽懐譲禅師の言葉に関連して言っておられる事は、敷瓦が価値がないとか、価値があるとか、鏡が価値があるとか、価値がないとかと言う事ではなくて、磨くと言う動作のうちに人生のすべてがあると言う事、その事を言っておられる訳であります。



              ―西嶋先生の話―
    --つづき

ギリシャ哲学以来、非常に長い間解くことのできなかった「人間の自由と因果関係」についての矛盾を、この「刹那生滅の道理」と言う考え方で釈尊は解きほぐしておられると言う事がいえる訳であります。この事が単に仏教を勉強するという上の問題だけではなしに、西洋哲学が今日まで何千年もの間、解決のつかなかった問題に一つの非常に明快な解釈を与えると言う関係を持っている訳であります。

そのために、今後、仏教と言うものがあるいは「正法眼蔵」の持っている思想というものが、世界の人々にもう少し理解される様になるならば、世界の思想の流れの上で非常に大きな意味を持ってくると考えられる訳であります。

私が土曜日の午後、外国の人を集めて英語で「正法眼蔵」の講義をしている一つの理由は、この「刹那生滅の道理」と言う、西洋思想では今まで説き得なかった哲学上の問題に、一つの解決を与えるという考え方を伝えたいという気持ちがある訳であります。この「刹那生滅の道理」と言う考え方は非常に重要な意味をも持っていると言う事が言えると思います。

※私の独り言。
たとえば掃除一つにしても、汚れているからきれいにするという事ではなくて、掃除そのもの(行い)が大切だから掃除をするとか・・・「正法眼蔵」には、日常生活をどう生きれば満足のいく後悔のない人生が送れるかという事が事細かに書いてあります。これからも「正法眼蔵」を読み坐禅をする暮らしが毎日続きます。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅とは姿勢を正してきちんと坐ることである。 姿勢反射が働いて、交感神経と副交感神経とが同じになり、 考え過ぎからくる不満がなくなり、感じ過ぎからくる不安が消える。 実行力が生まれ、やりたいと思う事が直ぐできるようになり、 やりたくないと思う事はやめることが出来るようになる。 自分自身と宇宙とが一体となり最も幸福な人生を送ることが出来る。

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