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正法眼蔵 坐禅箴 9

南嶽懐譲禅師問う:お前は一所懸命坐禅をしている様だが、一体何をねらいにして坐禅をしているのか。馬祖道一禅師言う:仏になろうとして一所懸命努力しています。

南嶽懐譲禅師と馬祖道一禅師との問答について道元禅師が注釈されます。
馬祖道一禅師が言われた「仏になろうとしています」という言葉の意味を十分に知ってよく理解する必要がある。ここで仏になると言っているけれども、その仏になるという事は一体どういう意味なのか。

我々以外に何か仏というような性質があって、それによって我々が仏にさせられると言う事が仏になるという意味であろうか。我々が積極的に努力して、仏になる、仏をつくると言うを事を仏になると言っているのであろうか。もっと具体的に一人の仏、二人の仏というふうに、A の人が坐禅をした、Bの人が坐禅をしたと言う形で、坐禅をしているあの人、この人がそれぞれ仏になっているという事を仏になるという言葉で表しているのであろうか。ただ坐禅をしていると言う事だけであって、仏になると言う事をもう問題にしない境地で一生懸命坐禅をしていると言う事なのか。

この様に「仏になる」と言う言葉にもいろいろな理解の仕方があるけれども、このような様々の仏になるという目的に向かっての努力、そういうものにからまれて生きていく、あるいは修行していくという事を「仏になる」というふうに言うのか。



              ―西嶋先生の話―

今日は仏教に関する大事な言葉の一つとして「刹那生滅の道理」という言葉を説明しておきたいと思います。この「刹那生滅の道理」と言う言葉は、仏教の話を聞く場合にあまり頻繁には聞かれない言葉であります。私も「正法眼蔵」という本を読むまでは、仏教にこういう理論がある事を知らなかった。ただ「正法眼蔵」の中でこの「刹那生滅の道理」と言う考え方に出会った時に、非常に大切な教えとして感動を受けたと言う記憶があるわけであります。

したがって、あまり今日まで仏教関係の話の中では説かれていない教えです。しかし非常に大切でありますから、この会でも二、三度はお話したと思いますが、さらに今日重ねて説明してみたいと思うわけであります。「刹那生滅の道理」と言うのはどう言う事かと言いますと刹那というのは瞬間と言う事「生滅」というのは生まれたり消えたりすると言う意味であります。ですから「刹那生滅の道理」と言うのは、我々の人生と言うものは瞬間瞬間に生まれては消え、生まれては消えしていると言う考え方であります。

常識的に考えると、そんな事はないんじゃないか、我々の人生と言うのはずうっと続いていて、そんなに途切れ途切れに生まれたり消えたり、生まれたり消えたりはしていないと言う事が実感でありますが釈尊は我々の人生と言うものを我々の行為と言う観点から考えていかれた訳であります。我々が人生において何を考えるかとか、何を感ずるかと言う事ではなくて、どういう行いをするかと言う事が一番大切だという考え方を基礎にして、我々の人生を考え直されたと言う事が言えるわけであります。
                               つづく--


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602:刹那生滅の道理 by せっせせっせ on 2017/04/09 at 00:59:47

「刹那生滅の道理」と、読んだだけで意識がピシッとしますね。
本当に我々の人生は、この瞬間瞬間に生まれては消え生まれては消えしているからこそ、今どういう行いをするかが一番大切だと実感します。
これからは「刹那生滅の道理」と、心に思うだけでも今この瞬間瞬間を大事にできるように思います。大事に大切に行動できるように思います。

603:Re: 刹那生滅の道理 by 幽村芳春 on 2017/04/09 at 16:53:44

せっせせっせさん、コメントありがとうございます。

「刹那生滅の道理」は本当に素晴らしい教えだと思います。
「過去に間違いを犯したとしても、今は過去とは切り離された現在の瞬間であるから過去の束縛からは離れている。そして現在、何をするかという事については人間としての自由が与えられている」と。
因果関係だけの教えであれば、自由は全くなく過去のやったことに縛られてしまうけれども、過去にやった過ちは消すことはできないけれども、今この瞬間からどういう行いをするかという自由は与えられている。だから、良いことをして悪いことはしないという生き方をしたいものですね。

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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恁麼(いんも)の巻に入りました。 恁麼とは、宋の時代の俗語で「あの」とか「あれ」という意味を表わす指示代名詞であり、用例によっては「なに」というような」疑問の意味を表わす場合もある。言葉で具体的に表現することの困難な何物かを指すところから、仏教が追い求めるところの心理を言い難き何物かという意味で、この恁麼という言葉で表現した。 コメントお待ちしています。

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