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正法眼蔵 大悟 17

米胡禅師の弟子と仰山慧寂禅師との問答について道元禅師の注釈は続きます。

「現在の瞬間に徹して着実に生きている人も、やはり悟りというものが必要でありましょうか」と言う質問は「この世の中に悟りなんてものはあるはずがない」と言っているわけではないし「悟りというものがあるからしっかり修行して早くつかめ」と言う事を言っているわけでもない。「いつか悟りがやってくるから、気長に待ちなさい」と言っているわけもないし「そういうもののご厄介になっているかどうか」という事を聞かれている。

※西嶋先生解説
そのことは、悟りというものは常に我々と一体になっている。ただそのことに気づくか気づかないかという事が問題である。そういう点では我々と悟りとが一体になっているという仏教の基本原則が頭に入っていれば、悟りというふうなもののご厄介になるとか、ならんとかという問題は起きてこないという事を言っておられる。

道元禅師の注釈に戻ります。
別の言葉でこれを表現してみるならば「現在の瞬間に生きて、生き生きと行動している人が得た悟りとは一体どの様にして得られたのか」と言う問いかけをしていると理解する事が出来る。「悟った」という表現を仮に使ったとすると「普段は悟りがなくて、やっとつかんだ」と言う意味にとれる。

「悟りがどこかよそからやって来た」と言う言葉を使うならば、「そのやって来た悟りというものは、普段は一体どこにあったんだ」と言う疑問がどうしてもわいてくる。そしてまた「自分が悟りと一体になった」と言うならば「そこで悟りと言うものが始まった」と言う解釈も出来ない事もない。したって、今述べたような様々な誤解を招く言葉を使わずに、またそのような実態でもないけれども、悟りの本当の実態というものを表現する場合には「悟りと言うもののご厄介になっているかどうか」と言うように表現するのである。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
先生のお話で、四諦ですね、四つの考えを重ね合わすっていう事は、私なりに四諦論を理解すると、最初やっぱり一つの理想とか願望とかを持つ、それで現実をよく見つめ、願望なら願望に対して一所懸命行動する。ただその願いにしても、現実にしても、行動にしても、それは本当の願いであり、本当に現実がよくわかり、正しい行動をするために坐禅があるというのが、この四つを重ね合わすという事でしょうか。

先生
はい、そういう考え方ですね。

質問
講義から離れるんですが・・・。愛欲の反対は憎しみですか、憎悪ですか。

先生
憎悪ですね。

質問
そうなってきますと、いわゆる恋愛なり、まあ愛欲でもいい、それの仏道的な考え方は、どっちにも片寄らずに、いわばシラケタような状態ですね。ですから仏道に関する限り、恋愛なんてものは、これは気違い沙汰だと、こういうことになりますよね。

先生
いや、そんなことじゃないね。それで愛と憎しみというのは、これは人間の生理現象と密接な関係があるんです。どういうものと関係があるかというと、自律神経と密接な関係がある。それで憎しみというのは交感神経が強くなった時に現れる現象、それから愛というのは副交感神経が強くなった時に現れる現象。だから人間のあり方というのは、両方の力がバランスしておる時が最も望ましい状態と、こういう事になるわけです。

だから愛情がなくなるという事が狙いではないけれども、それと同時に、愛情だけで人間が正しい状態が保たれるかというと、そうはいかない。だから裏側の力と表面の力と両方がバランスしているときが人間の最も健全な行動のとれる時。だから愛情も必要だけども、その反対のブレ-キも必要だというのが仏教の主張ですよ。

質問
ですから特に恋愛なんてことは考えられないわけですね、仏道では。

先生
そんなことはない。というのは、我々人間がなぜ今日まで生存が続いているかと言えば愛情があるからです。愛欲があるからですよ。愛情なしに人類の存続なんてことはあり得ない。
                        

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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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仏向上事の巻に入りました。 仏(真実を得た人)とは、真実を得た後もさらにその事を意識せず日々向上の努力を続けている生きた人間の事である。そしてこのように真実を得た後も日々向上に努力して行く人のことを仏向上人と言い、その様な努力の事態を仏向上ノ事と言う。道元禅師が諸先輩の言葉を引用しながら説かれます。

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