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正法眼蔵 大悟 15

京兆の米胡禅師が弟子を仰山慧寂禅師の所へ差し向けて質問させた。

弟子問う:現在の瞬間に徹して着実に生きている人も、やはり悟りというものが必要でありましょうか。仰山慧寂禅師言う:悟った、仏道わ分かったと言う事実がないわけではない。しかし、仏道と言うものがわかったとしても、自分の日常生活においては、過去の事をくよくよ考えたり、まだ来ない未来に対してそわそわしたりと言う事がないわけではない。そういうことを避けたいと思っても、どうしてもそういう事もあるというのが現状だ。

弟子は米胡禅師の許へ帰ってこの言葉を示した。米胡禅師はなるほど、さすが仰山禅師だ、まさに言うべき事を言われたとこの言葉を肯定された。

米胡禅師の弟子と仰山慧寂禅師との問答について道元禅師が注釈されます。
ここに言う現在の瞬間とは、一人一人の現在の瞬間を言っているのである。我々の日常生活を考えてみるならば、過去の事を考えて「あの時ああすればよかった、こうすればよかった」と百万遍考える事もあるし、あるいは将来のまだ来ていない時間の問題を考えて、「今に見ていろ俺だって」と言う様な事で張り切っている場合も幾らもある。

もちろん現在の瞬間というものを考えている場合もあるけれども、そういう様々な事態というものが、千あり万あろうとも、それらはいずれも現在の瞬間においてである。現在の瞬間以外に我々の人生はない。現在の瞬間以外に我々の生きる事の出来る時間はない。ある場合にはものをしっかりと見つめているという現在もあれば、様々のにおいをかいでいるという現在もある。したがって、我々がものを見たり音を聞いたり、あるいは一所懸命生きたりと言うのはいずれも現在の瞬間でしかない。



               ―西嶋先生の話―
     --つづき

「正法眼蔵」を読む事と坐禅をする事と、どちらが大切かと言うと前回、話した様に両方が大切と言える、と同時に特にそのうちどちらが大切かと言う事になりますと、坐禅をする事の方がなお大切だと言える。その事を道元禅師は、「只管打坐」と言う言葉で表現されたと言う事ができるわけです。

「正法眼蔵」生死の巻に、今の問題を非常に分かり易い言葉で述べられた文章があります。自分の体、自分の心をまず坐禅と言う形で、「仏の家」の中に投げ込んでしまう。すると、仏の方から影響が現れて、自然に「自分が何をしなければならないか」と言う事がわかって来る。だから、その教えに従って日常生活をしていくならば、別にこれと言う努力をしなくても、気持ちの上であれこれと思い悩まなくても、生き死にの問題を離れて自然に「仏」になってしまう。

したがって、「誰がその様な状態になった場合に、あれこれと心配事や悩みを心に留めておく必要があろう」と書かれています。仏道修行というのはこれが基本です。坐禅を通して自分の体を正しい状態に入れてしまう。そうすると、その正しい体の状態、正しい心の状態が「日常生活で何をしなければならないか」と言う事を自然に教えてくれる。そういう形で坐禅をやった時に、生まれて来るものを「智慧」と言うわけです。「智慧」とは、頭がいいとか悪いとかと言うのではなしに、正しい判断の基準です。

我々の日常生活の中で何が大切かと言えば、正しい判断が非常に大切です。我々の日常生活でいつも自分の行く道が二股に分かれている。どっちに行ったらいいかと言う事は考えていても結論は出て来ない。その場その場で「あ、これは右に行くべきだ、これは左に行くべきだ」と言う事で、瞬間瞬間に決断がつかないと、我々の日常生活は行ったり来たりして、努力ばかりしているけれども、結果がサッパリ良くないという事になる恐れがあるわけです。

そういう状態から抜け出すためにやるのが「仏道修行」。そういう状態から抜け出すためにやるのが「坐禅」と、こう言う事が言えるわけです。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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