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坐禅と外来語

新聞、雑誌、テレビなどで外来語がとても多く使われています。私は英語は不得意なので テレビの討論番組などで同じ年代の人がマニフェスト、プライマリ-バランス、コンセプト、等など、むずかしい会話をしているのを見ていて凄いな-と思っていました。

私のまわりでもこんな会話がありました。
ある時AさんがBさんに言いました。
「あなたはポリシ-がない」
Bさんは黙ってしまいました。
そこで同席していたCさんが
「ポリシ-がないのがポリシ-だよね」とBさんに言いました。
そしたらBさんは自信に満ちた声で
「そうだよ私はポリシーがないのがポリシーなんだよ」とAさんに言い返しました。

私はポリシ-と言う外来語は知っていますが、会話の中で使うほどわかっていないので黙っていました。ある時、西嶋先生にこの事を話したところ、先生は「知らないと馬鹿にされるのではないかと思い、わかっていないのにわかったふりして話をすすめてしまう、そうすると物事の本質から離れていってしまう心配がある」といっていました。特に公共機関では、例えばインフオメ-シヨンではなく、情報案内と日本語を使ってもらいたいものです。
  

読んでいただきありがとうございます。


 
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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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