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正法眼蔵 大悟 5

臨済院に住んでおられた義玄禅師が言われるには、「この偉大な唐の国において、悟っていない人を見つけようと思っも、悟っていない人を一人として見つけることはできない。

臨済義玄禅師の言葉についれ道元禅師が注釈されます。
いまここで臨済義玄禅師が言っておられるところは、正しい伝統に従って代々受け継がれてきたところの非常に大切な仏教思想の中心である。それが間違っているという事は決してあり得ない。大きな唐の国と言っておられるが、言葉を換えて言うならば、自分自身の目で見える範囲と言う事でもある。具体的に自分の周囲を見回してみて一人として悟っていない人はいないという意味でもある。

※西嶋先生解説
頭の中で考えておれば、悟っているとか悟っていないとかという事が言えるわけで、我々の日常生活、汗水たらして働いている生活の中には、悟りとか悟りでないとかという事はどうでもいいことで、一所懸命働いていることの方がはるかに大切、あるいは体の調子が悪くて一所懸命寝ているという場合には、それもまた非常に大切な事。お腹が空いたらご飯を食べる、これも非常に大切なこと。そういうことを臨済禅師は一人として悟っていない人はいないと言われた。

本文に戻ります。
我々は仏教哲学を勉強すると、宇宙全体とか沢山の国々と言う事を問題にして、その中で悟った人がいる、悟らない人がいる等を論議するけれども、そんなつまらない論議とは関係ない。いま自分がいるこの場所において、悟っていない人を見つけてみても、それは見つける事ができない。

自分自身の昨日の状態を考えてみても、悟っていないと言う事はありえない。昨日も一所懸命ご飯を食べ、一所懸命仕事をし、一所懸命心配し、一所懸命おかしな事を考えて生きたという点では、悟っていないと言う様な事はいえない。自分以外の人を問題として考えてみても、現在の自分と同じ様に悟っていないという事はありえない。

山の中で木こりをして、一生を送った人もあるであろうし、川のほとりで魚をとって一生を送った人もあるであろう。そういう人々は現在でもおり、過去においてもあったわけであるけれども、そういう人々の間で悟っていない人を見つけようといくら努力しても、決してそれは得られるものではあるまい。

仏道を勉強したいと考える人は、この様な形で臨済禅師の言葉を学ぶべきであり、その様な学び方をするならば、無駄に時間を過ごすという形ではいられないという事になるであろう。しかも、この様であるといいながら、その上さらに仏教界の諸先輩が代々持っておられたところの考え方、実際に行われた行動と言うものを学んでみるべきである。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
毎週ここに来て坐禅をし講義を伺っておりますことと、よそで何百何千という連中がそこで飲んでくだを巻いているかもしれない。それと比べた時に、こうやっておりますことは果たして仏道にかなっておるのかと。私自身にしましても、出席しない、休む場合もありますよ、堂々と。それはそれなりにやはり仏道にかなったことをしていると思って大いに飲んでいるわけですね。ですから、ここに来てこうしていることは、自分の独りよがりじゃないかと思う事もあるんですね。

先生
こういう会に出席しておることと他の行動をしていることとの違いについてですが、こういう会以外のものは全部仏道以外の事だというふうなこと、これは言えない。そういう点では仏道というものは色々な形があり得るわけで、だからこういう形のものだけが仏道修行だという事は決してあり得ない。ただ一番大切なことはレ-ルにのっているか外れているかという問題。レ-ルに乗っておれば素直に走るわけだから、人生の車というのは。

ところが、かなりの部分の人はレ-ルから外れて苦労しているという場合が多い。「この世の中というものは実にうまくいかない」「苦しくて苦しくてしょうがない」という人がたくさんおるわけだけれども、原因は何かといえば、レ-ルを外して動いている、これはあると思いますよ。だから夜酒を飲んで大いに騒ぐというような、これもそんな非難すべきことでも何でもないかもしれないけれども、翌朝の辛さというようなことも考えに入れてやらんとね。レールを外れてしまうとかね・・・。

質問
つまり、「レ-ル」という事は健康上の問題になりますか。

先生
単に健康だけの問題ではなしに、法というものがあるわけです。法から外れたところでガタピシ、ガタピシ一所懸命努力してみても、ご本人は大変かも知らんけれども、傍から見たら「馬鹿なことをしている」というふうな見方しかできない。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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仏向上事の巻に入りました。 仏(真実を得た人)とは、真実を得た後もさらにその事を意識せず日々向上の努力を続けている生きた人間の事である。そしてこのように真実を得た後も日々向上に努力して行く人のことを仏向上人と言い、その様な努力の事態を仏向上ノ事と言う。道元禅師が諸先輩の言葉を引用しながら説かれます。

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