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正法眼蔵 神通 34

百丈大智禅師の言われた言葉について道元禅師の注釈は続きます。

この様に考えてくると、釈尊の教えというものは例外なしに神通(神秘的な働き)を基礎にして到達するのである。六種類の刺激に執着しないという事、それを乗り越えるという事、その事が仏道を我が身につけるということの出発点である。そのような形において仏道修行の究極に到達した場合には、ほんの一滴の水と言うものが、大きな海を飲み込んでしまう、あるいはそれを吐き出すと言う事がわってくる。つまり、一滴の水というものも、途轍もなく大きな海の水というものも本質的には違いがない。

また別の説明で考えるならば、たとえ途轍もなく大きなものと言えども物質世界の最小単位(今日の言葉で言えば分子とか原子)の寄り集まりに他ならない。この様な事情と言うものを誰が疑問に思う事が出来よう。この様に大きいものも小さいものもすべて包含して、その一切がありのままに見えてくるという事、人間の感情で「これはいや」「あれはいい」と言う捉え方ではなしに、我々の住んでいる宇宙の一切がそのまま素直に受け取れる様になる事が神秘的な働きに他ならない。

            「正法眼蔵神通」
            1241年 旧暦11月16日
            観音導利興聖宝林寺において衆僧に説示した。

以上が「神通の巻であります。ここで述べておられることは、神通というものの理解に関して、特殊な能力が身につくという事だというふうな解釈が昔から行われているけれども、本当の意味で仏道の上での神通というのは、様々のものに拘らないで、自由自在に生きられるという事に他ならない。そのことをこの「神通」の巻で説かれておられるわけであります。



              ―西嶋先生の話―

仏教関係の基本的な言葉の説明の三帰戒(仏・法・僧)という戒律の帰依僧という戒律について、僧とはどういう意味かというところからお話をしていきたいと思います。今日でも僧とか僧侶とかという言葉がありますが、帰依僧の僧は僧とか僧侶とかという言葉とはちょっと意味が違っています。古代インドの言葉、つまりサンスクリットの中に「サンガ」という言葉があるわけでありますが、その「サンガ」という言葉を漢字に当てはめて「僧伽」(さんが)という言葉ができ、その伽という字が省略されて僧という言葉が残ったと、そういう事が帰依僧という言葉について使われておる僧という字の意味であります。

僧伽というのはどういう事を指すかと言いますと、釈尊がたくさんの弟子を集めて仏道修行を毎日されていたわけでありますが、その釈尊を中心にして毎日仏道修行をしていた団体を僧伽というわけであります。したがって、この帰依僧の僧という言葉をやはり仏教特有の四つの考え方で順序を追って説明していきますと、まず最初の意味は釈尊を中心として形成された仏教教団という事が僧という言葉の意味になるわけであります。だから帰依僧というのはその釈尊の作られた仏教教団に帰依するというのが第一番目であります。 

ただそれをもっと具体的に第二番目の考え方で捉えていきますと、その団体を構成している人々を四種類の人に分けることができるわけであります。一番目は僧侶(家庭生活を離れて仏道修行を専一にする男子の人々)。二番目は尼僧(家庭生活を離れて仏道修行を専一にする女子の人々)三番目は在家の男子(家庭生活を行いながら仏道修行をする人々)四番目は在家の女子(家庭生活をしながら仏道修行をしていく人々)。この四種類の人々が僧と呼ばれる人々であるという事が二番目の考え方として成り立つわけであります。

それからさらにもっと現実的に我々の日常生活に密着して僧というものを考えていくならば、三番目は今日の社会でも普通の生活をしながら仏道修行を一所懸命にやっていく人々は、いずれも僧と呼んで少しも差し支えがないと言えると同時に、四番目の最後の形としては、仏道修行の一番基本的な修行法として、我々の生活の中には坐禅があるわけでありますから、坐禅をしている人を僧と呼ぶことができるわけであります。

こういうような形で、僧というものに自分をまかせるという事が帰依僧という言葉の意味であるとみて差し支えないと考えられるわけであります。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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