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正法眼蔵 神通 33

百丈大智禅師の言われた言葉について道元禅師の注釈は続きます。

四果(四番目の成果)とは何かと言えば、仏教の基本原則は四つの詩句によって唱えられているが、そういう仏教の基本的な考え方を我が身に受け取りしかもそれを保持していくことである。四つの詩句を受持するとは、この我々が住む全ての世界のどこにおいても、眼・耳・鼻・舌という感覚器官が、それぞれ貪りを持たず汚される事がないと言う事である。貪らないと言う事は汚れがないと言う事である。汚れがないという事は、別の言葉でいえば平常心(ごくあたりまえの心)である。「自分はいつでも、現在のこの瞬間、この場所において、一所懸命である」と言う事が平常心であり汚れがないという事である。

※西嶋先生解説   
平常心といっても、いつものんびりと落ち着いていると言う事ではない。あわてなくてはならない時には一所懸命あわてる。とにか仕事が間に合わないとなったら、何とかして間に合わせようということで、大いにあわてる事が「平常心」でもあるわけです。あわてなきゃならん時にあわてないで、悠々としておることだけが「平常心」ではない。

道元禅師の注釈に戻ります。
釈尊の教えの中では、六神通(六種類の神秘的な働き)や四段階の最終成果というものがあるけれども、その正しい伝承は今述べたような内容である。この様な考えと異なった考え方、理解というものは、釈尊の教えではないと知るべきである。

※西嶋先生解説
これもまた非常に大切なことで、仏教というのはたくさんの宗派があって、いろんな考え方があって、あれも仏教、これも仏教という考え方を普通する。ところが道元禅師はそういう妥協的な考え方を持っておられなかった。道元禅師は非常に明確に「釈尊の教えというのはこれだ、これだけしかない」という事をはっきり頭に置かれていたから、ここに述べたような考え以外の考え方は釈尊の教えではない、そのことをはっきり知らなければならんと。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
仏道という方面から見ると、欲が多いから政治家に…。

先生
政治の世界というのは力の世界ですよね。これはまたある意味では非常に面白い世界ですよ。つまりごまかしがないわけだから。どっちが強いかでもって血みどろの戦いをして決めるわけだからね。だから「政治の世界は醜い、醜い」と世間ではよく言うけど、力の限り尽くして戦うという事もやっぱり我々の生き方の一つの形ですよ。だからそういうものを避けて我々が生きて行けるかというと、中々そうはいかないと思う。商売の世界でもそうですよ。商売だって戦いです。勝つか負けるかだ。その点では政治家と同じですね。
               
いずれにしても、何とか力を得たいというようなことで一所懸命やっている人というのは、中々健気な話だと思う。「あんな苦労ばかりして…」よ○○○の人はやらないですよ。それで欲望というものを無視したら、世の中はわかりませんよ。世の中はある面から見れば欲望の塊だからね。だから欲望というのはどういうものかってことがわかってこないと、世の中というのはわからん面がある。それと同時に自分が欲をかいていたら、欲望ってのはどういうものかわからん。欲望というのは、傍から見て「あ、欲かいてるな」ってことがわかってくるわけで、自分自身が欲をかいていたら、欲望というのはわかりっこない。

そうすると組んずほぐれつやって、苦労したり喜んだりしているうちに何十年経っちゃうという恐れがある。だから欲望というようなものがやっぱりよーく手の内に入ってこないと、社会の動きというのはわからないと思うね。だからその点では、この我々の住んでいる世界というものには無限の勉強の種がある、こんな楽しい世界はないという事が言える。
                ―中略―

道元禅師は「学道、学道」と言われるけれども、この世の中を学ぶというのが仏道修行ですよ。だからきれいごとで、行いすまして、執着なくなってというようなのは、仏道修行でも何でもない。この世の中がどういう仕組みになっているかという事をほんとに知りたいというのが仏道修行の出発点です。きれいだとか汚いとかと言ったって、人間が決めたことで、その時代、その社会においてどう思われているかというだけであるのかもしれない。

そうすると、それよりも、時代を超えた、あるいは地域的な制限を乗り越えた真実というものは何かという事がわかってこないと、本当のものは見えてこないという事がどうしてもあると思う。それを勉強するのが仏道修行という事になる。だから「神通」の巻で言われていることも、そういう事がわかって来るか来ないかが一番大切なことであって、超能力があって空を飛べるとか、水に潜れるとかというふうなことは、そう大したことではないと。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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