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正法眼蔵 神通 22

釈尊と五通仙人の説話について道元禅師の注釈は続きます。

五通仙人のこの様な質問の中において、葛藤をいかに活用するかと言う事を勉強する必要があるし、仏道修行をしてその煩わしいものが自然に断ち切られると言う状態も勉強しなければならない。

※西嶋先生解説
葛藤の葛はクズで「藤」はフジということ。クズの葉もフジの葉もいずれも蔓についていて、自分自身の力では立つことができない。だからクズの葉もフジの葉も、蔓で他所の木に巻き付いて生きていくという性格を持っているわけでありますから。葛藤とはよそにまつわりつくものと言う意味で、人間にまつわりついて人間の邪魔をするものと言うのが最初の意味です。

本文に戻ります。
まして、この五種類の神通を得たと自称していた五通仙人が、釈尊には六種類の神秘的な働きがあると言っていたが、この五通仙人には釈尊の持っておられる神通が本当に分っていたかどうかは疑問である。その様子と言うのは、隣の人の財産がいくら有るのだろうかと一所懸命そろばん勘定しているにも及ばない様な儚い状態ではなかったであろうか。

釈尊が五通仙人に「その一種類の神通と言うものをお前は私に問う必要がある」と言われたが、その言葉の意味はどのように理解したらよいのであろうか。釈尊が持っており五通仙人が持っていないと考えていた神秘的な働きが実はあると言っているのではない。それと同時にそういうものが釈尊にはあるけれども、五通仙人にはないと言っているのでもない。

そのような神通というものは釈尊にもある、五通仙人にもあるという共通のものであるかもしれないが、その様な事態にに対する理解というものは、釈尊が一所懸命言葉で何とかわからせてやろうと説明してみても、五通仙人はどうして言葉の説明だけでその神通というものを理解することができたであろうか。

※西嶋先生解説
仙人に釈尊が「五通仙人よ」と呼びかけた時に「はい」と素直に返事をしたが、この呼ばれて返事をすると言う当たり前な事は誰にでもできること。そういう普段だれもがやっているような事が、実は非常に貴重な神通(神秘的な働き)であるいう事についての理解は、普通はついていない。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
仏道修行を志す方の中には、過去の自分の犯した罪業というものを懺悔したいという気持ちで入る方も多々あるように思えるんですが、その点いかがでしょうか。

先生
過去の罪から逃れたいという事で仏道に入るという事は、決して不純な動機ではないです。だから、そういう形で仏道修行に入る方がいるということは、決して否定すべきことでもないし、大変結構なことだという事は言えると思います。ただそれと同時に、我々の生きている人生は現在しか生きる場がないという事、これも非常にはっきりしている。

だから過去に戻って、それを修正するためにというふうなことは絶対できない。「いま」いま」という事で、与えられた現在を一所懸命生きる以外に、どのような人にとっても生き方はないという事。これもまた釈尊の説かれた教えだという事が言えると思います。過去において悪いことをしたといったって、それについてクヨクヨしていてもどうにもならんという事。過去における結果が来ない様にといって逃げ回ったって絶対くるという事、これもはっきりしている。そういう前提に立ちながら、今を一所懸命にどう生きるかというのが仏道だと、そういう事だと思います。

質問
やはり仏縁に触れるという人は、人それぞれの立場において懺悔心というものが大なり小なり心の奥底にあるんじゃないでしょうか。

先生
うん、そういう事は言えるかもしれませんね。まあ大なり小なりそういう事があるかもしれませんね。

質問
かもしれない、という程度の事でございましょうか。

先生
うん。例外なしに常にあるという事が言えるかどうかね、それはまた問題があると思います。というのは、悪いことをしなくても、本当の事が知りたいという気持ちはあるわけですよね。そういう動機の人もたくさんいると思う。「自分は悪いことをしちゃったから、せめて仏道に入って」という人だけではなしに、自分はこれと言って悪いことをした記憶もないけれども、とにかく本当の事が知りたいというんで仏道修行を始めるという人はたくさんいると思います。

質問
どうもいろいろありがとうございました。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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