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正法眼蔵 神通 17

洞山良价禅師がかって雲巌曇晟禅師のところで勉強していた時に、師匠の雲巌曇晟禅師が洞山良价禅師に質問した。

雲巌禅師問う。一体、良价、お前の神秘的な働き、すばらしい効用というものはどんなものか見せてみろ。
その時、洞山禅師は叉手をして進み、雲巌禅師の前に立った。

そこでさらに雲巌禅師問う。  
さらにその上の神秘的な働き、すばらしい効用とは、一体どんなものか。
洞山禅師は丁寧にお辞儀をして出て行った。

※叉手とは、左手の親指を中にして拳をつくり胸の前にあてて、その上に右手をかぶせる。仏教寺院では普段手をブラブラ下げて歩かない。

雲巌曇晟禅師と洞山良价禅師の問答について道元禅師が注釈されます。
この説話は神通(神秘的な働き)と言う言葉を聞いて、その趣旨をすぐに理解したと言う状況がありありと見える。神通というものの実態がまさに目の前にあって、師匠と弟子とのやりとりは箱と蓋がピッタリと合わさる様な関係である。師匠と弟子の両方が仏道の理論を十分に理解していたから、質問と答えとがまさにピッタリと適合していた。

ここではっきりと承知しておかなければならないことは、仏教においては昔から神通効用(神秘的な働き、素晴らしい効用)というものが言い伝えられているけれども、それは時代がいかに進もうとも、次から次へと、師匠から弟子へ、師匠から弟子へと引き継がれていくものであろう、そしてそれは決してなくならないものである。仏教界の諸先輩方がいずれも、この神通効用について検討を重ね問答されているのであって、時代が進もうと、過去にさかのぼろうと決して変化のあるものではない。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
超心理学という学問がアメリカあたりでは体系づけられてますな。そういう時代になってきておりますので、道元禅師の時代からはよほどそういった方は研究されて来ています。この超心理学の問題はこれから大きなテ-マだと私は思うんですが。幾多の本がありますよ。私だって百冊ぐらいあります。我々の普通の耳では聞こえないものを聞く、あるいは動物の言語を解するというような…。ですから、これは謙虚に敬虔な気持ちで、まあそういう超能力はあってもいいと思ってて、私はいいと思うんだなあ。

先生
私は、道元禅師がこの「神通」の巻を書かれたのは、そういういわゆる超能力の世界はないんだという事を、はっきり言いたいために書かれたんだと思います。世間のものの考え方として、そういうものを漠然と信じるか、絶対に信じないかという考え方の違いがあるわけですけどね。私は絶対に信じない。そういうものは絶対に信じない。神秘的なそういう特殊な能力というのは絶対信じない。仏道修行はそのためにやった。仏道というのはそのためにあるんですよ。

そういう因果関係(原因と結果)を外れたところで様々の空想というものが人間をいかに不幸にするかという事、それが釈尊の教えですよ。そういう不確かなものを基礎にして人生問題を考えれば、人生というもの自体を不幸にするんですよ。だから釈尊は「そういうものはないぞ」と言われたんだね。人間を幸福にするためには、そういううわついた思想、うわついた考え方というものを捨てなきゃならん。そういうものを否定しなきゃならんという事が、釈尊の教えの基礎にあります。そういう点では、仏道の立場から見るならば、そういうものは肯定するわけにはいかないというのが、非常ににはっきりした立場だと思います。

質問
ま、おいおいわかるでございましょう(笑い)。この話は打ち切りましょう。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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仏向上事の巻に入りました。 仏(真実を得た人)とは、真実を得た後もさらにその事を意識せず日々向上の努力を続けている生きた人間の事である。そしてこのように真実を得た後も日々向上に努力して行く人のことを仏向上人と言い、その様な努力の事態を仏向上ノ事と言う。道元禅師が諸先輩の言葉を引用しながら説かれます。

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