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正法眼蔵 神通 10

潙山霊祐禅師と二人の弟子との問答について道元禅師の注釈は続きます。

その点では、現にこの世の中において生きている具体的な体というものに拘束されて現れるのではなく、現在でなければ意味がないとか、過去にはあったけれども現在はそれがなくなっているとか、将来に現れて来るであろうと言う三種類の時間の限定の中に束縛された形のものではない。つまり、いつの時代にもどこにおいても現れて来る性質のものである。

そしてこの仏心通(真実を得られた方々が持っているところの神秘的な働き)でなければ、真実を得られた方々における発心(真実を得たいと言う気持ちを起こす)、修行(実際に仏道修行をする)、菩提(仏教の説く真実と一体になる)、涅槃(至福の境涯)に帰するというような経過も決して起こり得ないのである。

変化の中にも不変な要素が含まれている現実の宇宙のあり方というものも、いずれもみな仏心通(真実を得られた方々が持っているところの神秘的な働き)と同性質のものである。したがって神通と言うものは、決してとっぴな事ではない。きわめてありふれた、ごく具体的な変化と言うものが神通と言う事に他ならない。



              ―西嶋先生の話―

我々が仏教を勉強する事と、一般の社会生活とがどう言う関係にあるかと言う問題を考えて見たいと思います。何故こういう問題を取り上げるかと言うと「正法眼蔵」では「仏教を勉強するためには名誉や利得から離れなければならない」という教えがある訳です。
我々が日常生活を送っている場合に、名誉を得る事は非常に楽しい事、お金が儲かる事も非常に楽しい事です。日常生活の中で名誉を得た時、お金儲けが出来た時に幸福と感じると言う問題がある訳です。

そうすると、我々の日常生活における重要な部分である名誉や利得を離れて、人間が果たして幸福であり得るかどうかという問題が出て来るわけです。そういう問題について仏教でどう考えているかという事を考えてみたいと思います。一般的に言いまして我々の社会生活が「名誉と利得」を中心にして行われていると言う事、これは疑問の余地のないところではないかと思います。我々の社会生活の一つの価値の基準として「名誉」と言うものがある。つまり日常生活をやっていく上において、人から褒められたい、人から尊敬されたい、沢山の人を支配して使ってみたいと言う事です。

それからもう一つ、我々の社会生活の一つの価値の基準として「利得」がある。我々の社会生活においては、お金と言う非常に結構なものがある。お金と言うものはたくさん貯まっても決して邪魔にはならない。お金があると、自分の欲しいものがかなりの程度までは手に入るという事があります。だから、お金は我々の社会生活においては非常に大事な部分を占めていると、こういう事が言える訳です。一般的に言いまして、我々の社会生活が「名誉と利得」を中心にして行われていると言う事、これは疑問の余地のないところではないかと思います。
                         つづく--


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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仏向上事の巻に入りました。 仏(真実を得た人)とは、真実を得た後もさらにその事を意識せず日々向上の努力を続けている生きた人間の事である。そしてこのように真実を得た後も日々向上に努力して行く人のことを仏向上人と言い、その様な努力の事態を仏向上ノ事と言う。道元禅師が諸先輩の言葉を引用しながら説かれます。

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