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正法眼蔵 神通 9

潙山霊祐禅師と二人の弟子との問答について道元禅師の注釈は続きます。

天眼通・天耳通・他心通・宿命通・如意通という五種類の神通(神秘的な働き)、それにさらに漏心通を加えて六神通と言うが、いずれも小神通(小さな規模の神秘的な働き)である。こう言う五種類、六種類の小神通に一所懸命になっている人々は、仏教界における真実を得られた方々の持っている大神通については、夢にさえ見たり聞いたりした事がないといえる。(※六心通についてはカテゴリ神通2参照ください)

五種類、六種類の神通を小神通と言うのはなぜかというと、これらの小神通は、修行と体験とに理解が分かれていて、これこれの修行をすればこれこれの神通が得られると言う考え方で取り扱われている。時間においても場所においても限界を離れ得ていないからである。今の時点ではやれるけれども、後になるとできませんという状態のものであり、自分にだけできて他人にはできないという性質のものであるし、この地球上ではやれるけれども、他所に行ったらやれないという性質のものであり、人の見ていない所では実際にやれるかもしれないけれども、現にこの場においてはできないと言うふうな様々の限定がある。

ところが、諸仏(仏教界の真実を得られた方々)に具わる神通はいま述べたような状態ではない。諸仏の教え、行い、体験というものがすべてこの神通の中に現れて来るのである。そしてこの神通は、諸仏の境地の中で具体的に現れてくると言うだけではなしに、真実を得たいと言う境地さえ超越してしまった人々の中にも現れて来るのである。この様な日常生活における具体的な行動を通して人を教化していく姿は、頭の中で想像してあれこれ考えても理解できる性格のものではない。




          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
一般的に「正法眼蔵」は誰でもできるものだと思ってないようです。まず坐禅をするには足がいる。ところが「南無阿弥陀仏」と言うのは誰でもできるんですね。これが一番やさしい誰でも入れる宗教だとそう考えがちじゃないかと思うんですが、その点をどうお考えでしょうか。

先生
私の感じからいきますと念仏の方が遥かに難しいですよ。それはどういう事かと言うとやる気が起きない。「南無阿弥陀仏」を唱えて救われると言う様な事はとうてい信じられない。だからその事を信じようとする事は私にとっては絶対に不可能なんです。

質問
先生には不可能かもしれませんが、一般大衆にはその方がやさしいと思ってやしませんかね。

先生
いや、だからそういう事のできる方は、念仏で大いに救われるべきだと思います。ただ私の様にどうしても信じる事ができない人間も、数が多いか少ないかは別としているわけです。私が坐禅をやっておるという事は、実際にやってみてとにかく落ち着くし、健康にもなると言うふうな事ですからね。とにかく坐禅で救われる、これは信じる事が出来るわけですよ。

ただ「南無阿弥陀仏」と唱える事によって救われると言う考え方は私にはどうしてもわからない。だから、もう入り口から断られてしまうんです。その事が信じ得れば、そりゃ念仏の宗派に入っていけるかもしれないけれども、どうしてもそう言う事が信じられない。
     

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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅とは姿勢を正してきちんと坐ることである。 姿勢反射が働いて、交感神経と副交感神経とが同じになり、 考え過ぎからくる不満がなくなり、感じ過ぎからくる不安が消える。 実行力が生まれ、やりたいと思う事が直ぐできるようになり、 やりたくないと思う事はやめることが出来るようになる。 自分自身と宇宙とが一体となり最も幸福な人生を送ることが出来る。

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