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正法眼蔵 神通 6

潙山霊祐禅師と二人の弟子との問答について道元禅師の注釈は続きます。

さらに一段上の段階からこの問題を考えてみることができる。すでに述べたように、まず最初に潙山霊祐禅師が寝ておられた事態があり、さらに向きをかえて壁に向かって寝たと言う動作があり、それから起き上がろうとした事態があり、また慧寂禅師を呼んだという行いがあり、自分がどういう夢を見たかと言う事を自分で説こうとした事態があり、また慧寂禅師にそれを説明させるという事があり、それから顔を洗ってしばらく黙って坐っているという動作もあった。これらの動作と言うもの全てが、潙山霊祐禅師の行われた神通(神秘的な働き)そのものである。

また一方の仰山慧寂禅師にしても、頭を下げて師匠の言う夢の説明を一所懸命に聞こうとした態度があり、それから金盥に水を入れて持って来るという動作があり、手ぬぐいを同時に持って来るという動作があった。このように潙山霊祐禅師にしても仰山慧寂禅師にしても、ごくあたり前の日常生活における行動をしたに他ならないのではあるけれども、潙山霊祐禅師は「わしはいま慧寂と一緒になって一段と優れた神秘的な働きを行動にあらわして実行した」と言われている。

同じような神通という言葉であっても、潙山霊祐禅師や仰山慧寂禅師が示された神秘的な働きと言うものを学ぶべきである。釈尊の説かれた教えを正しく伝承して来た大先輩である潙山霊祐禅師がこのように言われているのである。我々もやはり潙山霊祐禅師や仰山慧寂禅師が行われた行動を、夢を説明する行動であり、顔を洗った行動であるとごく普通の理解の仕方をする必要もあるけれども、それと同時に、やはり一段と優れた神秘的な働きでもあるという事をはっきりと理解する必要がある。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
私が若い時には選択肢がたくさんあったんですね、あれもできる、これもできる、あれもやりたいと。だんだん年を取ってくると、選択肢の数が少なくなって出来る事と出来ない事――幅が狭くなってくる。こういう事を若い皆さん方の前で年寄りがいう事はおかしいですね、やっぱり年寄りの考え方と若い人の考えとはどうしても違う。大体そのどっちかだと言う二者択一に近くなってきますね。

先生
ええ、そうです。その点ではね、若い時にたくさんの可能性を持っているという事は見ようによっては不幸なことですよ。年寄りになってくるとたった一つのことしかできなくなる。私の場合はたった一つのことしかやらなくなったけれども、そのことというのは非常に恵まれたことだというふうに感じます。それで若い時に、あれもやれる、これもやれるという状態の時に、自分が幸福感を持っていたかというと結局、幸福感よりは迷いの感じの方が強かったです。

どこへ行ってしまうんだか自分自身がわからなくて、あれをやり、これをやっていたという事が何十年も続いていたというのが過去の実績だと思います。だからそういう点では、若い時と年取った時では状況が違うという事がはっきりあると思います。だんだん数が減っていって可能性がたった一つしかなくなるという事は必ずしも不幸なことではないという事もいえると思います。

質問
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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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