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正法眼蔵 神通 2

「神通」の巻、本文に入ります

現実の具体的な神秘的な働きというものは、仏教徒が誰でも常に行うところである。そして真実を得られた仏教界の人々は、日常生活、朝から晩までこの神秘的な働きというものを絶えず行って、それに飽きるという事がないのである。

この神通(神秘的な働き)というものには、神境通・陀心通・天眼通・天耳通・宿命通・漏尽通 六神通と言うものがある。神鏡通とは自分の行きたいと思うところはどこへでも行けるという働き、陀心通とは、人の気持ちがわかるという働き、天眼通とは、人に見えないものが見えるという働き、天耳通とは、人に聞こえないものが聞こえるという働き、宿命通とは、過去の出来事がわかるという働き、漏尽通とは、様々の欲望を自由に統制することが出来る働き、これらを六心通という。

※西嶋先生解説
これらの働きというのはいずれも我々の日常生活において常にある。人の気持ちがわかるか、わからんか、なんて言う事はいくらでもあって、わからない場合もあるけれども、様子や態度や言っている事で「あ、この人はこういうことを考えているな」と言うような事がわかるという場合はいくらもある。だからそうすると、陀心通などと言ってみても、そう特別な働きではなしに、我々の日常生活の中でいくらでもある働きという事になるわけであります。

本文に戻ります。
神秘的な働きを、六種類に分けるのではなしに、一切のものが神秘的な働きだという捉え方もあり、たった一種類の神秘的な働きというものがあるという考え方もできる。これを「一神通」という。神秘的な働きという特別なものはどうでもいいのであって、それ以上何も求めるものはないと言う事からすれば、神秘的な働きなどと言うものは無くてもいいと言う考え方もある。これを「無神通」という。日常生活がキチッとやれることが最高の神秘的な働きだという考え方もある。これを「最上神通」という。

我々は朝から晩まで様々の行いをするが、真面目に日常生活をする事そのものが「神通」と言う具体的なあり方である。



              ―西嶋先生の話―
                           --つづき

そういう感じを持っている人は、人生の生き方としてそう大きな間違いはない。自分がどっか非常におかしなところへ入り込みそうになっても「あ、これはいかんな」という事を感じて、逆戻りするという事が出来るわけです。ただ、そういう感覚が全然なくなっていると、何処までも、何処までも進んで行ってしまって、溝の落ち込んだり、塀にぶつかったりという風なことにならざるを得ない面があるわけであります。

そういう点では正義感――正しさに対する感じというものが、我々が生きていく上においてはわりあい大切なのではないかという気がするわけであります。正しい、正しくないの問題は、あらゆる面に出てくる問題でありまして、例えば仕事のやり方一つにしても、売り上げが増える、荒利が増えるという事、それから経費が少なくて済むという事、そういう問題を考えた場合に、どうやったら一番そういう目的に適合するかという風な判断というものは、割合人間の感覚によって決まるという問題があります。

だからそういう点では、色々と本を読んで勉強する事も大切でありますが、それと同時に、どうやったら商売がうまくいくか、どういう風にやったら利益が多くなるかという風な問題は、案外感覚でつかむという問題がある。感じでつかむという問題があるわけであります。だからそういう点では、自分の体を正して、そういう面の感覚を養うという事、正しさに対する感覚を養うという事が単に正しい、正しくないの問題だけではなしに、我々の一生においていい結果をもたらさないかという事の分かれ道にもなるという風な問題があろうかと思います。

※私の独り言。
夫婦で始めた小さな店も開業して40年。「正しい努力を続ければきっとよくなる・・・」で始まる西嶋先生の本は強い味方です。
西嶋和夫著 ~正法経営の勧め~人も企業もバランスが命 元就出版社 定価1600


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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ブログ名を「坐禅と暮らし」から 「正法眼蔵=坐禅」に変えました。

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