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正法眼蔵 仏教 25

これらの経典はすべて、釈尊の眼目(ものの見方)である。釈尊の骨であり髄である。釈尊が常日頃やっておられた行動である。釈尊が持っておられた輝きであり装飾である。釈尊の国土である。したって教典を読む事が釈尊に直接お目にかかる事であり、釈尊について語る事は十二種類の経典を語る事である。

※西嶋先生解説
この辺では普通「不立文字、教外別伝」というふうな主張で、文字は問題でないんだ、あるいは経典以外に釈尊の教えというものは伝えられているんだ、という主張をする考え方と道元禅師の考え方は全く違っていた、という事が言えるわけでありまして、道元禅師は何千年も前から伝えられてきたところの仏教経典というものが、やはり釈尊の教えの中心をなしているんだという主張をしておられるわけであります。

本文に戻ります。
青原行思禅師が黙って片方の足を石頭希遷禅師の前に垂らされ、弟子の石頭希遷禅師がこれを礼拝されたと言う話が伝えられている。青原行思禅師がそういう自由な行動をとり、また弟子である石頭希遷禅師がそれを礼拝したという事例も、釈尊以来、声聞、縁覚、菩薩という三種類の仏教徒に関連して説かれてきた仏教哲学や十二分教に盛られた教えというものが、青原行思禅師と石頭希遷禅師との間で行われたやり取りと内容的には全く同じである。

また南嶽譲懐禅師が師匠から仏教の大意というものを聞かれたときに、「言葉で表現しようとするとどうもぴったりしません」と回答したという話が伝えられている。その回答の中に盛られた中身というものと、三乗十二分教によって表現されているところの仏教哲学というものとは、中身が全く同じことを形を変えて言っているに過ぎない。

玄沙師備禅師が三乗十二分教に関連して「一切要らない」と言っておられる意味というものも、南嶽譲懐禅師や青原行思禅師が行ったり言ったりした言葉の意味と少しも変わらない。


              ―西嶋先生の話―
                          --つづき

仏道ではどういう事を言われたのかといいますと、善人が考えていることは必ずしも正しいとは限らない、また悪人が考えていることも必ずしも正しくないとは限らない、その点ではそういう善悪という区別を乗り越えたところに本当の真実があって、そういう真実を基準にして生きないと人間は本当の生き方が出来ないという事を主張されたわけです。ですからその点では、仏教思想というものは世間一般に行われている考え方と立場が違う考え方だと、こういう事があるわけです。

しかも釈尊はそういう考え方を述べられる際に、断見外道と常見外道も自分のお考えの中に包み込んでしまった。そういう考え方で仏教思想というものを説かれた。ですから仏教思想の一番最初には常見外道的な考え方がまず出てくるわけです。誰でも人はまず良心的に生きようとするわけです。だからその点では第一段階では常見だ。ところが少し年頃が行ってくると、この世の中とは決していいことばかりはないという事がよくわかってくる。そうすると今度は常見を離れて断見の考え方が入っていくという場合が多いわけです。

世間一般では大体この二つでとまってしまうわけ。だからある人は善人だと思い込んでいるし、ある人は悪人だと思い込んで、それぞれが「俺の方が正しい」と思いながら、この世の中を送っているというのが我々の社会の実情です。釈尊は断見の考え方も、常見の考え方も誤りだという事を主張されたわけです。我々の人生は確かに断見が説くように瞬間的なものではあるけれども、その瞬間に正しいことを行うならば、我々の人生というものは永遠の価値を持ちうると、こういう主張をされたわけです。

ですから仏教思想は、断見の考え方と常見の考え方と両方を具えた考え方だという事ができ得るわけです。仏教思想では常見の考え方、断見の考え方、そのどちらでもない考え方と言う三つの考え方が成り立つけれども、この三つの考え方はすべて理論だ、理屈だ、頭の中で考えたことであって、我々が生きている現実の世界ではないという事を主張されたわけです。この現実の世界を仏教では「法の世界」というわけです。

                       つづく--


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅とは姿勢を正してきちんと坐ることである。 姿勢反射が働いて、交感神経と副交感神経とが同じになり、 考え過ぎからくる不満がなくなり、感じ過ぎからくる不安が消える。 実行力が生まれ、やりたいと思う事が直ぐできるようになり、 やりたくないと思う事はやめることが出来るようになる。 自分自身と宇宙とが一体となり最も幸福な人生を送ることが出来る。

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